明治三十三年一月十一日
撫養分教会長以前だん/\のおさしづにより運び方に付、分教会長を譲りたら宜しきや、又旬が来たらんや人間心で分かり兼ねますに付願明治三十三年一月二十五日(陰暦十二月二十五日)
中台庄之助身上の願明治三十三年三月十一日
梶本宗太郎二十一才梅谷四郎兵衞娘とみゑ十四才縁談事情願明治三十三年三月三十日
教校資本金を募集御許し願明治三十三年五月十日
南海分教会所へ県庁の方より来人あるに付、電灯を引くの願明治三十三年六月二十一日
梅谷四郎兵衞及び妻たね小人とみゑの三人身上願明治三十三年八月二十九日
諸井その身上願明治三十三年九月二十八日
茨木基敬身上障りに付願(陰暦八月五日の晩に腹痛み御陰様に救かり、又陰暦八月十八日に岡山支教会へ出越して居る先で、午後五時頃より朝方まで腹痛み歯うづき、これも御陰様で救かりこの度本部へ帰らして頂き居ります内に、身上あちらこちら悩み心がうっとしいてなりません。又時々涙が出まして困り、又夜前から朝方まで喉痛みますに付)明治三十三年十月二十五日
諸井国三郎分教会へ行く事の願明治三十三年十一月三十日(陰暦十月九日)
増井りん二十六日に身上御願い申し、そのおさしづに速やかなったら改めて尋ね出よ、との事でおたすけあり、今日改めて願明治三十三年一月二十二日
田中豊七五十五才身上願(山国部内)明治三十三年三月二十二日
河合藤太郎三十八才身上願明治三十三年六月十二日
木村竹次郎長女かめ十一才身上願明治三十三年九月二十六日
植谷梅松三十一才沢田善助娘とめ二十五才縁談事情願明治三十三年一月十一日
南海分教会長譲る事に付、分教会へ板倉槌三郎出張願明治三十三年一月二十七日
河原町分教会長深谷源次郎の処、副会長徳次郎へ譲る事に付だん/\運び申し上げ願明治三十三年三月十一日
東分教会長上原佐助大いに咳強く身上の願明治三十三年三月三十一日
東部内牛込支教会運び方の処心得まで願明治三十三年五月十二日
城島分教会長山田伊八郎及び妻こいそ並びに役員二三人身上障りに付願明治三十三年七月一日
清水与之助五十九才身上願明治三十三年八月三十一日
土佐敬誠二十八才身上願明治三十三年十月二日
増野いと四十四才身上俄かに大変迫り願明治三十三年十月二十六日
高井つね四十一才身上願明治三十三年十二月一日(陰暦十月十日)
増井りん昨日御息おさづけ下されました処、高井猶吉、梅谷四郎兵衞のようなと同じ事でありますや願明治三十三年一月二十七日
伊東宇三郎三十一才身上願(湖東支教会阿仁出張所理事)明治三十三年四月四日
平出団次郎身上妻も身上障り、速やか成り次第台湾へ行く願(山名分教会役員)明治三十三年六月二十日
日野利三郎妻サキ五十四才願明治三十三年十月七日
増井とみゑ身上願明治三十三年一月十一日
上田民蔵小人なをえ目の処願明治三十三年一月二十八日
宮森ヒサ四十二才眼の障り願明治三十三年三月十二日
島ケ原万田万吉眼の障りより身上願明治三十三年四月三日
上田ナライト運び方に付願(園原上田ナライト運び方に付先方の心聞いてこうという処を聞いて、その上尋ねてまあ一度尋ねとの事に付、先方には家内一同寄せて貰い度く、たとえどんな苦労あるとも結構でありますからとの事でありますが、又後の家屋敷の処如何致しまして宜しきや、先方の御話してありますから、この辺御願いの上の事と申し置きましたが如何と願)明治三十三年五月十五日
本部水車水路付け替え御許し願明治三十三年七月六日
郡山分教会山瀬文次郎本部準員に繰り上げの願明治三十三年九月三日
西村喜之助小人をのぶ身上願明治三十三年十月三日
本部より山辺郡福住村字大岸にある杉檜買い求め願明治三十三年十月二十七日
撫養部内名東支教会正木国蔵辞職に付、柏原源次郎を後任に願明治三十三年十二月一日
敷島分教会所教務所教祖外九棟の建物並びに塀石垣致し度く、尚御許しの屋敷内へ引き移り願明治三十三年二月八日
大東長三四十八才身上願(平安役員)明治三十三年四月十日
田代兵蔵五十九才身上願(河原町部内水口支教会理事)明治三十三年六月二十三日
内海共之身上願明治三十三年十月十日
松岡由清五十九才身上願(東肥支教会)明治三十三年一月十一日
鴻田捨菊山下の弟と縁談事情願(並びに鴻田内の東富森へ貸したる所で住居して、こちらへ貰い受けたものか、又向こうへやりまして宜しきや願)明治三十三年一月二十八日
鴻田捨菊身上願明治三十三年三月十三日
山名分教会長諸井清麿三十才身上願明治三十三年四月三日
山名分教会事務所北の方地所買い入れ願明治三十三年五月十六日
山沢ひさ小人為次身上願明治三十三年七月八日
清水与之助養女に西本みつ二十三才貰い受けの願明治三十三年九月四日
春野喜市長男貞造咳厳しくに付願明治三十三年十月三日
甲賀支教会長実父山田太良平七十二才身上願