明治三十三年十二月二十七日
田中捨吉小人ナワヱ八才身上願明治三十三年一月八日(陰暦十二月八日)
清水与之助本部へ栄転に付、従来副会長富田伝次郎を以て後任会長選定の願明治三十三年一月二十二日
山下伊三郎次男廉太郎鴻田忠三郎三女捨菊縁談事情願明治三十三年二月二十七日
別派独立の願書内務省へ請求に付願明治三十三年三月二十九日
飯降政甚身上事情願明治三十三年五月六日
上原佐助本部員事情に付願(上原佐助以前身上のおさしづより高井猶吉、山沢為造二名の心得まで御願い申し上げし処、同格同様に許し置くとのおさしづを蒙り、それより両名東分教会へ出張し一同へ話致されし処、一同も満足の上心定め致せしにより、本部へ立ち帰り、一同へおさしづの上より話致して本部長へ申し上げしに、もう一応御願い申せとの事に付願)明治三十三年六月十四日
永尾よしゑ東京飯倉出張所へ事情のため行かねばならん事情ありますが、本席腹少々御悪う御座りまして心に掛かります、如何に致しましたら宜しきや願明治三十三年七月三十一日
本部にて当年暑さも厳しくに付、暑中休みは陰暦八月十五日まで延引する事願明治三十三年九月二十七日
教長の庭働きに福知山支教会長足立清次郎の妹いわ十七才雇い入れの願明治三十三年十月二十日
一昨夜高井つね身上のおさしづより、本部員一同打ち揃うて願明治三十三年十一月二十二日
安堵の飯田岩治郎の事情に付、九州地方へ桝井政治郎派出する事願明治三十三年一月九日
明日河原町へ桝井、山沢行く事願明治三十三年三月十七日
植田長三郎五十六才身上願明治三十三年六月四日
峰畑為吉妻まつ四十一才身上願明治三十三年九月九日
佐々木兼太郎三女芳十二才以前身上障りより事情願明治三十三年十二月三十日
峰畑為吉四十才身上願(敷島理事)明治三十三年一月九日
山田とめ身上願明治三十三年一月二十四日
南海分教会長山田作治郎出直しに付、後々一同心得まで願明治三十三年二月二十八日
撫養分教会長土佐卯之助の処、伜敬誠に変更の願明治三十三年三月二十九日
増田亀次郎三十二才身上願明治三十三年五月七日
増野正兵衞妻いと昨日身上障りに付おさしづ頂戴致しまして、その通り致しますからと願うておさづけを戴けば直ぐと身上救かりそれ故本日願明治三十三年六月二十一日
城島分教会移転事情に付願(城島分教会末代の見込みを以て金屋村に地所を買い求めさして頂き、然るに村方より故障申し込み或は道路取り払い戻せよと申し込み、これに付運び方不行届きは神様へ申し上げ、尚かようになるのは元の所に止どまったものか、金屋の方へ移転さして貰いましたものか、皆々の心に困り居りますに付願)明治三十三年八月十一日
船場分教会新築願(船場分教会新築願に付、教会所桁行九間に梁行六間一棟、北南の方五尺縁付、玄関二間半に一間、桁行四間に二間半教祖殿一棟、桁行六間梁行四間平家一棟、桁行五間に梁行四間の二階建一棟、桁行三間梁行四間の平家一棟役員詰所、桁行九間梁行三間二階立一棟、桁行五間梁行三間半平家台所、桁行四間半梁行二間立蔵一棟、表門大一箇所、教会四方廻り高塀七十間、北と西の方に入口二箇所、古井戸六箇所埋み新たに三箇所掘る事、両便所五箇所風呂場一棟、陰暦八月一日地均らし及び石搗き手斧始め、後は追々致し度く願)明治三十三年九月二十八日
高井つね身上願明治三十三年十月二十一日
深谷徳次郎小人景三四才身上事情に付願明治三十三年十一月二十六日
増井りん五十八才身上のぼせに付願明治三十三年一月二十二日
松尾芳松四十才居所障り伜雄太郎目の上の出物願明治三十三年三月二十日
植谷浅次郎以前の事情申し上げ、今、伜三男勇七才身上願明治三十三年六月九日
深谷源次郎三浦悌二の三女せき二十六才雇い入れる願明治三十三年九月十六日
大谷金太郎五十二才身上大変障りに付願(高知部内岩浜支教会長、元は医師に有之)明治三十三年
家本佐兵衞息増次郎を浅井勝太郎娘かめの婿に貰い受け度きに付願(三神支教会役員)