明治二十四年十一月六日 午前
梶本松治郎葬祭来る十二日執行の件願明治二十四年十一月十五日
芦津分教会部内備中国笠岡支教会地方庁へ出願の願明治二十四年十一月二十一日
山中栄蔵身上障り願明治二十四年十二月一日(陰暦十一月朔日)
おさづけ手順相済み、身上の願を申し上げし処直ぐと御話あり明治二十四年十二月十八日
平野トラ身上より夫婦出よとのおさしづに付両人願明治二十四年十二月三十日
志紀分教会を中河分教会と改称の願明治二十四年一月二十六日
宮森与三郎腕の痛みに付願明治二十四年三月二十一日
西井徳重身上願明治二十四年五月十四日
増田亀次郎小人身上願明治二十四年六月二十五日(陰暦五月十九日)午前八時
山本平十郎六十一才身上願(和泉国大高郡美木多村大字檜尾)明治二十四年八月七日
里見久兵衞子息伊太郎身上願明治二十四年九月十六日
宮森与三郎小人身上願明治二十四年十月七日
佐藤山三郎身上願明治二十四年十月二十六日
深谷源次郎身上少し障りに付願明治二十四年十一月十九日
宮森与三郎妻ヒサ身上事情願明治二十四年十二月二十五日
田中安次郎二十三才目の障り願明治二十五年一月十日
桝井安松十六才三島へ寄せて頂く願明治二十五年一月二十日
増野松輔身上だん/\迫り願明治二十五年一月
兵神部内加古支教会住居の方に赤衣祀る願明治二十五年二月十日 夜
衆議院選挙に付県会議長中山平八郎よりは今村勤三を、奈良平田郡長よりは玉田金三郎を運動依頼され、一方断る訳に行かざるに付願明治二十五年二月十八日 夜
永尾よしゑ前おさしづより中山会長出席の上御願明治二十五年二月二十七日
教祖御墓地用豊田山買い入れの願明治二十五年三月三日
高知部内集談所四箇所高知県下へ置く願(繁藤村、山田村、国久村、高岡村)明治二十五年三月十四日
芦津部内池田支教会所地方庁出願に付出張の願明治二十四年八月五日(陰暦七月一日)
河内国柏原の山本利三郎の内にて伊之吉の願明治二十四年八月二十九日
増野いと大便不通追々迫るのは、春野の方の治まり方を御知らせ下されますや伺明治二十四年一月八日
梅谷たね身上障りに付、又小人たか及びとみゑ以上三名の願明治二十四年一月二十五日
清水与之助身上咳の願明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜十時半
教祖五年祭の件伺明治二十四年二月二十日(陰暦正月十二日)
本席身上御障りに付願明治二十四年三月三日
北村平四郎地所買い取りに付、一時山本利三郎の名に約定致すに付御許しの願明治二十四年三月十五日
中山重吉事情願明治二十四年三月二十八日
飯降さと身上願明治二十四年四月十五日
梅谷四郎兵衞身上願明治二十四年四月二十三日
寺田半兵衞娘コウ咳出で又孫真之助眼病に付願明治二十四年五月五日
本席身上御障りに付願明治二十四年五月十三日
山沢為造子供三人共身上に付願明治二十四年五月二十五日
鴻田忠三郎耳遠くに付願明治二十四年六月六日
越後行の願明治二十四年六月二十四日
芦津分教会部内西宮真明講教祖五年祭来月四日御許し願明治二十四年七月六日
村田かじ身上願明治二十四年七月二十一日
増野正兵衞鼻先の出来ものに付伺明治二十四年九月二十四日
清水与之助播州へ巡り帰会、一日を過ぎて二十一日朝五時頃腹下りの願明治二十四年十月四日
城島分教会開筵式に付本席出張に付、辻忠作、桝井伊三郎、鴻田忠三郎随行の伺明治二十四年十月十七日
本部の大裏の南門の東の方へ厠建てるの願明治二十四年十月三十一日 夜
過日二十八日の朝大地震に付、名古屋愛知支教会へ見舞のため宮森与三郎、永尾楢次郎両名出張の願明治二十四年十一月七日 朝
清水与之助御勤済まし、御簾にて目を引き掛け痛むに付願明治二十四年十一月十五日(陰暦十月十四日)
前川菊太郎身上の願明治二十四年十一月二十二日
陰暦二十六日本部大祭に付講社参詣人へ御供やる願明治二十四年十二月二日(陰暦十一月二日)
便所新築御許しの願