明治二十四年十二月二十五日
松村ツル身上障りに付願明治二十四年一月十三日
村田願明治二十四年三月十二日
富田伝次郎身上障り願明治二十四年四月二十三日
深谷源次郎運ぶ事情願明治二十四年六月一日
篠田ゆき二十九才身上願明治二十四年七月七日
日野サキ四十五才身上願明治二十四年八月三十日
末村喜助四十五才身上願明治二十四年九月二十一日
西村喜右衞門再願明治二十四年十月十五日
橋詰新平六十六才身上事情願明治二十四年十一月五日 朝
辻かめ身上願明治二十四年十二月一日
安田治三郎伊勢地方へ家内引き越しの願(葛下郡築山村)明治二十五年一月六日
河原町部内湖東支教会建家の願明治二十五年一月十四日
御話研究の事に付伺明治二十五年一月二十五日
清水与之助身上の願明治二十五年二月七日
諸井たま身上願明治二十五年二月十四日 夜十二時二十分
永尾よしゑ身上未だ速やかせずに付願の処へ、桝井伊三郎、高井猶吉園原へ出越し、上田ナライト同道で帰り来たりし故その事情も併せて願明治二十五年二月二十四日
山地所買い入れの願明治二十五年三月一日
今村斧太郎筑前へ行くか又は大阪の方に居るや願明治二十五年三月十日 夜十一時
本席身上胸切なみに付願明治二十四年八月四日
本席方の六畳の座敷西側の壁を取り除く事又塀を突き出す事の伺明治二十四年八月九日
鴻田忠三郎身上の伺明治二十四年九月七日
河原町分教会部内越乃国支教会本県へ出願事情の願明治二十四年一月十六日
増田甚七の願明治二十四年一月三十日(陰暦十二月二十日)午後一時
親族一同出席の場にて御話明治二十四年二月十一日(陰暦正月三日)
前おさしづにより、本局へ教祖五年祭に一人も御出張無きよう御断りのため前川菊太郎出張の事情願明治二十四年二月二十二日
五年祭の当日御墓参り致しましたもので御座いますや伺明治二十四年三月五日(陰暦正月二十五日)
教祖御出張りを上段の間となし、こゝにて式をなし、かんろだいでおつとめ御許しを願明治二十四年三月二十四日
辻とめぎく身上願明治二十四年四月一日(陰暦二月二十三日)
教祖五年祭当日高安分教会に於ても本部通り祭式の後、祭官一同あしきはらい二十一度かんろだい御勤後にて御勤御許し願明治二十四年四月十八日
梅谷分教会を梅谷村に設置の願明治二十四年四月二十七日
本席戸主の名前政甚へ切り換えを明日運ぶ願明治二十四年五月十日
先のおさしづに基づき心得のため願明治二十四年五月二十一日
河原町分教会部内西陣支教会設置に付府庁へ出願の事情願明治二十四年六月三日
茨木基敬大分県豊前国下毛郡中津金屋本町に所在する豊前天恵四番講長(旧大阪泉田藤吉)へ参り度きに付心得のため事情願明治二十四年六月十二日
清水与之助国元へ一度帰り万事心掛かり治め度きに付願明治二十四年七月一日
鴻田忠三郎越後行の事情願明治二十四年七月十二日
兵神分教会部内黒川真明講先き丹後国真明講、警察署より信仰は止めずして信票を張る事ならぬと厳しく申すに付、兵神分教会より中井宗七派出致すの願明治二十四年九月十三日
棟上げの事に付、分支教会へ知らせたものでありますか、知らさず置きたものでありますか願明治二十四年九月三十日
大和国十津川日の元講へ派出の願明治二十四年十月十一日
大阪天地組分教会地所買い入れの願明治二十四年十月二十一日
東分教会長上原佐助歯痛に付願明治二十四年十一月三日 午後六時
梶本松治郎身上厳しきに付願明治二十四年十一月十三日 朝
平野楢蔵身上願明治二十四年十一月十六日
清水与之助身上の願明治二十四年十一月二十五日
芦津分教会部内笠岡支教会所月次祭陰暦十六日、説教日陽暦六日十六日二十六日の御許し伺明治二十四年十二月十四日
天地組の分教会設置に付、神道本局管長より添書到着せしに付、府庁へ出願致し度く願明治二十四年十二月二十八日
南海支教会説教日は陽暦一日、月次祭は陰暦五日との願明治二十四年一月十三日
郡山分教会山城講社取り堅めの願明治二十四年三月十二日
磯村卯之助身上願明治二十四年四月二十三日
杉本清八六十七才身上事情願