明治二十四年十二月二十一日
増井幾太郎身上速やかに付伺明治二十四年十二月
増野正兵衞井戸屋形新井戸の方へ引き、壁を二間程東へ引き、北手へ壁を建てる事の願明治二十四年二月六日
田中藤七小児十才身上障り願明治二十四年三月二十五日(陰暦二月十六日)
兵神分教会住居方に教祖を心だけ御祀り申し居る所三尺の間故、この度北の方一間の所へ御かわり下され度く願明治二十四年五月十四日
中彦五郎身上願(伊賀山田村)明治二十四年七月五日
広田岩蔵妻しな四十一才身上願明治二十四年八月十五日
小島七五郎四十才身上願(近江国高島郡青柳村大字下小川斯道会第百十八号)明治二十四年九月二十日
今村五平身上障りに付願(斯道会第七十五号講元)明治二十四年十月八日
宇野善助娘こん二十二才身上願明治二十四年十月三十一日
中井宗助母のぶ身上願明治二十四年十一月二十八日
奥野権平願(生駒)明治二十四年頃
沢田たみ顔に火傷の時願(和泉国大津村)明治二十五年一月十二日 正午
本席身上御障りに付伺明治二十五年一月二十一日
芦津部内福知山支教会へ永尾楢次郎出張の願明治二十五年二月三日
芦津部内西宮支教会陰暦十八日仮開筵式の願明治二十五年二月十二日
芦津分教会の支教会池田村に置く願(池田支教会)明治二十五年二月二十日
三重県より奈良県へ照会せしに付、伊賀地方布教のため橋本清、永尾楢次郎出張願明治二十五年二月二十九日
永尾よしゑ小児きぬゑ身上併せての願明治二十五年三月六日
中河分教会所地所一件に付願明治二十四年七月
増野正兵衞並びに道興の障りに付伺明治二十四年八月六日
増野正兵衞腹下り障りに付願明治二十四年九月三日(陰暦八月一日)
中山会長より前川菊太郎縁談事情心得のため御願(大阪宮川平三郎娘を貰う願)明治二十四年一月十三日
上原佐助妻つね及び長男義彦の家内中の願明治二十四年一月二十八日 夜八時半
刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)明治二十四年二月十日
増野正兵衞昨日鼻汁が出て何と無くしんどくて一日休み、今日は御陰を以て起きたるも未だ鼻汁が出てならぬに付如何と願明治二十四年二月二十一日
上原佐助の伺明治二十四年三月四日
梶本ミチ身上願明治二十四年三月二十一日
増野正兵衞神戸へ行き、帰りて見れば道興頭に出物に付伺明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
本席御出立の願(御供、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞)明治二十四年四月十六日
中山重吉普請の事に付願明治二十四年四月二十五日
山名分教会部内愛知支教会設置願明治二十四年五月六日
辻由松娘キミ身上願明治二十四年五月二十日
山沢サヨ、ミキノ、サワ三人共身上障りに付願明治二十四年五月二十九日
松村吉太郎目の障りに付願明治二十四年六月十一日
前五月二十九日のおさしづに辺所の話と有之、右は講社にてありや、又は我身にとりて宜しきや、松村吉太郎伺明治二十四年六月三十日
前川菊太郎、小東こたま、増井とみゑ、縁談の事に付心得のため伺明治二十四年七月八日
寺田半兵衞家族の者身上に付伺明治二十四年九月九日
教祖休息所風呂場雪隠の処、暫く取り直し事情の願明治二十四年九月二十七日
城島分教会開筵式に付信者は御酒御供弁当渡し、講社外は御酒御供だけ渡す事に付願明治二十四年十月七日
中山会長城島分教会開筵式に付出張の願明治二十四年十月二十日
今村熊太郎身上の願明治二十四年十一月一日
山田伊八郎身上鼻の出ものに付願明治二十四年十一月九日 午前一時半頃
中山教長身上総体しんどく左の肩に固まり出来しに付願明治二十四年十一月十五日
東京中台平次郎妻いそ身上の願明治二十四年十一月二十三日(陰暦十月二十二日)
本部に各分教会支教会長及び役員又講社講元等宿泊するに際し、夜具不足に付蒲団二十組新調御許し願明治二十四年十二月七日(陰暦十一月七日)
東京本局平塚教正来会、本年本局局債金に関する件に付願明治二十四年十二月二十五日
豊田村山地買い入れの事情願明治二十四年
池田村に設置せる中和支教会普請の願明治二十四年二月二十四日
宮田善蔵商売の事願明治二十四年四月十六日
秋岡亀治郎娘こま十八才身上願