明治三十年一月十三日 正午
村田かじ身上願明治三十年三月六日
山沢為造女中おしか雇い入れの願明治三十年四月十四日
佐賀関に布教所の担任鴻田利吉の処、桝井安松に変更、又二百三十二番地へ移転の願明治三十年六月五日
諸井国三郎殖産工業の事情を兼ね、台湾台中県へ布教の儀願明治三十年七月十四日
安堵村飯田岩治郎神様下られる様申されるは道具主でも出られるや如何と心得まで願(前日御願通りだん/\信徒へ及ぼす故心得まで願)明治三十年九月十日
山本藤四郎身上願明治三十年十月三十日
増井幾太郎妻みつえ身上願明治三十年十二月十一日
本部風呂新築願明治三十年一月十二日
山瀬身上願明治三十年七月四日
永井藤平小人と共に身上願明治三十年十月十二日
宮本重五郎五十五才身上障りに付願明治三十年一月十三日
土佐卯之助身上願明治三十年三月六日 夜
増田甚七小人ふさの身上願明治三十年四月十八日
桝井伊三郎、永尾楢次郎両人東京及び仙台地方へ出張の願明治三十年六月七日
奈良支教会長伜森川宇次郎身上願明治三十年七月十四日
増野いと身上願明治三十年九月十二日
山名分教会台湾台中城内諸井国三郎拝借地に、山名分教会台中教会設置願(担任一条源治郎)明治三十年十一月九日
諸井松太郎身上願明治三十年十二月十一日
平安支教会事情飯田、春木、上田等上京せしに付、本部より運び方如何して宜しきや願明治三十年一月十二日
中津熊蔵六十三才身上願明治三十年七月六日
小笠原たま二十一才身上願(豊丘布教所小笠原喜兵衞娘)明治三十年十一月三日
神田亀吉身上願(川之江支教会長)明治三十年一月十五日
皇太后陛下崩御に付、国中喪本月十二日より三十日間と定められ、就ては節会の処陰暦正月二十六日大祭に御鏡を供え、二十七日は餅切同日村内節会、二十八、九、三十日(陽暦三月一、二、三日)の三日間信徒一般の節会執行御許し願明治三十年三月十日
中津部内二豊布教所移転及び担任の願(同郡豊田村字島田二百九十八番地へ、伏見三次郎を担任)明治三十年四月二十日
城法支教会長山本藤四郎家族支教会へ引き移りの願明治三十年六月八日
増野正兵衞咳出るに付願明治三十年七月十六日 朝
諸井国三郎渡台に付、部下重立ちたる者分教会に集まり御神前に御勤をなし直会頂戴の最中三才の小人身上一時迫りしに付願(十三日夜の事)明治三十年九月十三日
松村吉太郎喉息詰まり身上願明治三十年十一月十日
寺田半兵衞息はずみ咳出で脇腹痛むに付願明治三十年十二月十一日
本席御身上願明治三十年四月四日
東保太郎妻いさ三十九才目の願明治三十年八月十六日
岩本卯平身上願明治三十年十一月五日
上田秀吉身上願(高津出張所部内長土出張所長)明治三十年一月十五日
増野道興身上願明治三十年三月十一日
山田伊八郎、八才、二才の小人の願明治三十年四月二十二日
大裏西側中央に井戸一箇所願明治三十年六月八日
富松清三郎身上願明治三十年七月十九日
平野トラ身上願明治三十年九月十七日
田中松二郎次男福太郎身上願明治三十年十一月十三日
橋本清辞職書差し出せしに付、協議の上事情願明治三十年十二月十三日
桝井伊三郎老母の障りに付、弟政治郎を引き戻し安太郎出る事に付願明治三十年四月七日
中台庄之助伜十六才身上願明治三十年八月二十二日
大藪安太郎母ツネ六十二才身上願明治三十年十一月八日
松岡国松三十一才前事情申し上げ身上願明治三十年一月十八日 夕方
茨木基敬四十三才身上願明治三十年三月十二日
増井りん六十日程前より歯痛の処少々治まり、本日午前十時頃より腰の障りになりしに付願明治三十年四月二十二日
増野正兵衞身体中芯骨痛み咳出で、又道興目の障り願明治三十年六月十一日
寺田半兵衞身上願(四五十日前より熱出でいろ/\と悩みにより)明治三十年八月二日
平安支教会長飯田岩治郎事情に付願(神様御下りありと申し立て曰く『この屋敷は二つ無き水屋敷、元なる者は何んと思うぞ、この度は平安より往還の道つける皆心勇み出よ』と、その他種々申し立て尚飯田に月読の神御下り其御指図故本席より誠の神と言って分かり来るとの事に付、平安より役員春木、松尾、田中、森中、西本、重役五名罷出で、本部長へ上申の上本部員立ち会いの上願)明治三十年九月二十四日
富松たみ身上願