明治三十年三月二十一日
大裏へホイロ場石灰入れとして七間に二間の建築願明治三十年五月一日
大裏へ米蔵建築御許し願明治三十年六月十五日
春野喜市に梅谷たかを妻に貰い度く、相方家内皆心治まりしに付御許し願明治三十年八月五日
増野正兵衞小人おとも身上願明治三十年九月二十六日 夜
園原村上田たき身上願明治三十年十一月二十日
九つ鳴物の内、三味線を今回薩摩琵琶をかたどりて拵えたに付御許し願明治三十年十二月二十日
撫養部内西香川出張所前地方庁より取り消しに相成りし処、今般担任天満益右衞門にて出願の願明治三十年四月二十四日
木村留吉身上願(城島分教会員函館出張所詰)明治三十年九月八日
臼杵治郎兵衞小人龍蔵三才身上願明治三十年十二月十七日
宮垣藤太郎四十七才身上願明治三十年一月三十日
船場分教会用地として西田佐兵衞より百四十坪献納願明治三十年三月二十二日
永尾楢次郎、桝井伊三郎派出の願明治三十年五月七日
城島分教会担任上村吉三郎出直しに付、後任山田伊八郎を以て願明治三十年六月二十二日
本席四五日以前歯痛みに付願明治三十年八月五日
茨木基敬四十三才身上血が上下三度身上願明治三十年九月二十八日
平野楢蔵出張先にて身上に付願明治三十年十一月二十日(陰暦十月二十六日)
鳴物琴胡弓三味の替わり入るつとめ人衆に付御話明治三十年十二月二十三日 夜
松村吉太郎、飯田岩治郎の件に付上京せし処、その夜より右の足に出来物出来、追々大きく相成るに付願明治三十年五月十五日 夜
山内治三郎目の障り願(東肥支教会長)明治三十年九月十五日
寺田松太郎五十四才身上願明治三十年十二月二十二日
木戸上庄右衞門妻きく身上願明治三十年一月三十日
永尾楢次郎右の目障り願明治三十年三月二十三日
井筒梅治郎未亡人とよ手首腫れものに付願明治三十年五月七日
梅谷四郎兵衞長女たか先月二十八九日頃より左の耳根の歯痛み休み居り、今に痛み治まりませぬに付喜多治郎吉より伺明治三十年六月二十二日
撫養部内西香川出張所県庁より取り消し致せしに付、所々後々心得のため願明治三十年八月十四日
永尾よしゑ身上願明治三十年九月二十九日
増野正兵衞小人おとも身上熱横腹出物の願明治三十年十一月二十二日
各分支教会及び出張所に於て三つ鳴物を奏する御許し願明治三十年十二月二十四日
山沢為造小人ミキノ及びサワの二人身上に付願明治三十年五月二十二日
松尾兵五郎五十九才身上願明治三十年九月十七日
大西松蔵父嘉蔵六十九才身上願明治三十年十二月二十四日
東保太郎娘きよ二十二才身上目の障り願明治三十年二月一日
松村吉太郎風邪引き咳出て困り居る後へ、小人義孝口中舌たゞれ、口中悪しくに付願明治三十年三月二十六日
柏原源次郎の願明治三十年五月七日
柏原源次郎の願明治三十年六月二十二日
柏原源次郎の願明治三十年八月二十日
本席十日程前より左耳の御障りに付願明治三十年十月一日
大県支教会東側の井戸に付お言葉明治三十年十一月二十五日
平安支教会を奈良県生駒郡龍田町大字龍田字馬場百八番屋敷へ移転願(板倉槌三郎を担任教師と定め、松村吉太郎を移転式祭主、平野楢蔵を付き添いとして移転式の願)明治三十年十二月二十四日
山沢由松二十六才身上伺(十一月十八日より大熱病に罹り)明治三十年六月三日
柿谷達太郎長女おわか四才身上願明治三十年九月二十四日
久保音松伜竹松身上願明治三十年十二月二十七日
藤原吉次郎次女シヅヱ一才身上目の願明治三十年二月一日
増田亀次郎身上願明治三十年三月二十九日
永尾楢次郎静岡県下へ出向きし先にて、身上障りありしに付、帰部の上心得のため願明治三十年五月十日
富松清三郎身上願明治三十年六月二十四日(陰暦五月二十五日)夜
西浦弥平妻しを身上願明治三十年八月二十日
高安分教会新築に付、松村吉太郎心得のため願明治三十年十月三日
島ケ原支教会長万田万吉妻まつ出直しに付心得まで願明治三十年十一月二十五日
清水はる腰痛の願