明治三十年十月二日
日野利三郎五十二才身上願(奈良支教会役員)明治三十年一月十一日
山沢為信身上障り願明治三十年三月一日
山田作治郎三女たみゑ三才身上願明治三十年四月四日 夜
増野正兵衞身上願明治三十年六月三日
安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)明治三十年七月三日
安堵村飯田岩治郎の事に付、桝井伊三郎、増野正兵衞の両名運びしも聞き入れ無之に付、如何致して宜しきや願(飯田岩治郎に神様降れりと申し立て、月読命様のお話なりと言い、上田、春木両名が一の取次と申し、信徒へ申し伝え云々に付取り締まり方御願)明治三十年九月八日
増野正兵衞及びいと身上願明治三十年十月二十五日
清水与之助身上十六日前より夜寝られず咳強きに付願明治三十年十二月三日
中河分教会の運び方に付、増野正兵衞身上より願明治三十年十二月三十日
松村吉太郎足の障りに付願明治三十年六月二十二日
徳地辰次郎三十才身上伺明治三十年十月五日
山本近治内々事情願明治三十年一月十二日 夜十時
郡山分教会山瀬文次郎御願の後にて、御話明治三十年三月四日
島ケ原分教会長万田万吉身上願明治三十年四月四日 夜
刻限明治三十年六月五日 夜
一昨晩本席御身上御障りこれありしに付願明治三十年七月七日
永尾よしゑ身上願明治三十年九月八日
桝井伊三郎妻おさめ四十一才身上願明治三十年十月二十八日
日本橋分教会開筵式に付教長御出張、随行板倉槌三郎、辻忠作、桝井伊三郎三名に願明治三十年十二月八日
河原町部内水口支教会長藤橋光治良四十才身上願明治三十年十二月三十日
増田ならえ身上願明治三十年六月二十三日
重田好松妻あい三十四才身上願明治三十年十月八日
畠山佐十郎二十八才身上願