明治三十年二月二十五日
増野正兵衞身上願明治三十年三月三十一日
清水与之助身上に付部内事情願明治三十年六月三日
安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)明治三十年七月三日
安堵村飯田岩治郎の事に付、桝井伊三郎、増野正兵衞の両名運びしも聞き入れ無之に付、如何致して宜しきや願(飯田岩治郎に神様降れりと申し立て、月読命様のお話なりと言い、上田、春木両名が一の取次と申し、信徒へ申し伝え云々に付取り締まり方御願)明治三十年九月八日
増野正兵衞及びいと身上願明治三十年十月二十五日
清水与之助身上十六日前より夜寝られず咳強きに付願明治三十年十二月三日
中河分教会の運び方に付、増野正兵衞身上より願明治三十年十二月三十日
松村吉太郎足の障りに付願明治三十年六月二十二日
徳地辰次郎三十才身上伺明治三十年十月五日
山本近治内々事情願明治三十年一月十一日
山沢為信身上障り願明治三十年三月一日
山田作治郎三女たみゑ三才身上願明治三十年四月四日 夜
増野正兵衞身上願明治三十年六月五日 夜
一昨晩本席御身上御障りこれありしに付願明治三十年七月七日
永尾よしゑ身上願明治三十年九月八日
桝井伊三郎妻おさめ四十一才身上願明治三十年十月二十八日
日本橋分教会開筵式に付教長御出張、随行板倉槌三郎、辻忠作、桝井伊三郎三名に願明治三十年十二月八日
河原町部内水口支教会長藤橋光治良四十才身上願明治三十年十二月三十日
増田ならえ身上願明治三十年六月二十三日
重田好松妻あい三十四才身上願明治三十年十月八日
畠山佐十郎二十八才身上願明治三十年一月十二日 夜十時
郡山分教会山瀬文次郎御願の後にて、御話明治三十年三月四日
島ケ原分教会長万田万吉身上願明治三十年四月四日 夜
刻限明治三十年六月五日
諸井国三郎殖産工業の事情を兼ね、台湾台中県へ布教の儀願明治三十年七月十四日
安堵村飯田岩治郎神様下られる様申されるは道具主でも出られるや如何と心得まで願(前日御願通りだん/\信徒へ及ぼす故心得まで願)明治三十年九月十日
山本藤四郎身上願明治三十年十月三十日
増井幾太郎妻みつえ身上願明治三十年十二月十一日
本部風呂新築願明治三十年一月十二日
山瀬身上願明治三十年七月四日
永井藤平小人と共に身上願明治三十年十月十二日
宮本重五郎五十五才身上障りに付願明治三十年一月十三日 正午
村田かじ身上願明治三十年三月六日
山沢為造女中おしか雇い入れの願明治三十年四月十四日
佐賀関に布教所の担任鴻田利吉の処、桝井安松に変更、又二百三十二番地へ移転の願明治三十年六月七日
奈良支教会長伜森川宇次郎身上願明治三十年七月十四日
増野いと身上願明治三十年九月十二日
山名分教会台湾台中城内諸井国三郎拝借地に、山名分教会台中教会設置願(担任一条源治郎)明治三十年十一月九日
諸井松太郎身上願明治三十年十二月十一日
平安支教会事情飯田、春木、上田等上京せしに付、本部より運び方如何して宜しきや願明治三十年一月十二日
中津熊蔵六十三才身上願明治三十年七月六日
小笠原たま二十一才身上願(豊丘布教所小笠原喜兵衞娘)明治三十年十一月三日
神田亀吉身上願(川之江支教会長)明治三十年一月十三日
土佐卯之助身上願明治三十年三月六日 夜
増田甚七小人ふさの身上願明治三十年四月十八日
桝井伊三郎、永尾楢次郎両人東京及び仙台地方へ出張の願明治三十年六月八日
増野正兵衞咳出るに付願明治三十年七月十六日 朝
諸井国三郎渡台に付、部下重立ちたる者分教会に集まり御神前に御勤をなし直会頂戴の最中三才の小人身上一時迫りしに付願(十三日夜の事)明治三十年九月十三日
松村吉太郎喉息詰まり身上願明治三十年十一月十日
寺田半兵衞息はずみ咳出で脇腹痛むに付願