明治三十年二月十九日
郡山分教会山陰支教会長外役員一同身上の願明治三十年三月三十一日
陽暦四月十四日より本局神殿新築落成奉告祭に付、本部長外随行員五名と分教会長残らず、支教会長代理として三名程出頭する事御許し下さるや願明治三十年五月二十一日
奈良支教会長森川重太郎長男宇次郎三十一才大熱下だり願明治三十年六月三十日
山本もん六十七才身上願明治三十年八月三十一日
南紀支教会長下村賢三郎母しま七十四才身上願明治三十年十月八日
南紀支教会長下村賢三郎母しま七十四才身上願明治三十年十一月二十九日
平安支教会長を板倉槌三郎に変更の上、龍田村元すみやへ仮りに移転願明治三十年十二月二十九日
梶本宅治め方事情願明治三十年六月十三日
山中かめ身上願明治三十年十月二日
山崎菊馬長男相太郎十四才身上願(高知分教会部内)明治三十年一月八日(陰暦十二月六日)
山沢為信前より身上にて喉たんつかえ息どしくに付願明治三十年二月二十五日
増野正兵衞身上願明治三十年三月三十一日
清水与之助身上に付部内事情願明治三十年五月三十一日
大江支教会長妻中西やを身上願明治三十年七月一日
本部北の方へ門一箇所建てる願明治三十年八月三十一日
清水与之助胸動悸強く息切なくに付願明治三十年十月十二日 夜
島ケ原支教会長万田万吉妻出直し後、後々心得のため願明治三十年十二月三日
中河分教会整理の事に付、増野正兵衞、桝井伊三郎、喜多治郎吉の三名運ぶ事願明治三十年十二月二十九日
吉川宗七妻たけ身上願明治三十年六月十五日
小島七五郎四十六才身上願明治三十年十月二日
日野利三郎五十二才身上願(奈良支教会役員)明治三十年一月十一日
山沢為信身上障り願明治三十年三月一日
山田作治郎三女たみゑ三才身上願明治三十年四月四日 夜
増野正兵衞身上願明治三十年六月三日
安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)明治三十年七月三日
安堵村飯田岩治郎の事に付、桝井伊三郎、増野正兵衞の両名運びしも聞き入れ無之に付、如何致して宜しきや願(飯田岩治郎に神様降れりと申し立て、月読命様のお話なりと言い、上田、春木両名が一の取次と申し、信徒へ申し伝え云々に付取り締まり方御願)明治三十年九月八日
増野正兵衞及びいと身上願明治三十年十月二十五日
清水与之助身上十六日前より夜寝られず咳強きに付願明治三十年十二月三日
中河分教会の運び方に付、増野正兵衞身上より願明治三十年十二月三十日
松村吉太郎足の障りに付願明治三十年六月二十二日
徳地辰次郎三十才身上伺明治三十年十月五日
山本近治内々事情願明治三十年一月十二日 夜十時
郡山分教会山瀬文次郎御願の後にて、御話明治三十年三月四日
島ケ原分教会長万田万吉身上願明治三十年四月四日 夜
刻限明治三十年六月五日 夜
一昨晩本席御身上御障りこれありしに付願明治三十年七月七日
永尾よしゑ身上願明治三十年九月八日
桝井伊三郎妻おさめ四十一才身上願明治三十年十月二十八日
日本橋分教会開筵式に付教長御出張、随行板倉槌三郎、辻忠作、桝井伊三郎三名に願明治三十年十二月八日
河原町部内水口支教会長藤橋光治良四十才身上願明治三十年十二月三十日
増田ならえ身上願明治三十年六月二十三日
重田好松妻あい三十四才身上願明治三十年十月八日
畠山佐十郎二十八才身上願明治三十年一月十三日 正午
村田かじ身上願明治三十年三月六日
山沢為造女中おしか雇い入れの願明治三十年四月十四日
佐賀関に布教所の担任鴻田利吉の処、桝井安松に変更、又二百三十二番地へ移転の願明治三十年六月五日
諸井国三郎殖産工業の事情を兼ね、台湾台中県へ布教の儀願明治三十年七月十四日
安堵村飯田岩治郎神様下られる様申されるは道具主でも出られるや如何と心得まで願(前日御願通りだん/\信徒へ及ぼす故心得まで願)明治三十年九月十日
山本藤四郎身上願明治三十年十月三十日
増井幾太郎妻みつえ身上願