明治三十年三月二十三日
井筒梅治郎未亡人とよ手首腫れものに付願明治三十年五月七日
梅谷四郎兵衞長女たか先月二十八九日頃より左の耳根の歯痛み休み居り、今に痛み治まりませぬに付喜多治郎吉より伺明治三十年六月二十二日
撫養部内西香川出張所県庁より取り消し致せしに付、所々後々心得のため願明治三十年八月十四日
永尾よしゑ身上願明治三十年九月二十九日
増野正兵衞小人おとも身上熱横腹出物の願明治三十年十一月二十二日
各分支教会及び出張所に於て三つ鳴物を奏する御許し願明治三十年十二月二十四日
山沢為造小人ミキノ及びサワの二人身上に付願明治三十年五月二十二日
松尾兵五郎五十九才身上願明治三十年九月十七日
大西松蔵父嘉蔵六十九才身上願明治三十年十二月二十四日
東保太郎娘きよ二十二才身上目の障り願明治三十年二月一日
松村吉太郎風邪引き咳出て困り居る後へ、小人義孝口中舌たゞれ、口中悪しくに付願明治三十年三月二十六日
柏原源次郎の願明治三十年五月七日
柏原源次郎の願明治三十年六月二十二日
柏原源次郎の願明治三十年八月二十日
本席十日程前より左耳の御障りに付願明治三十年十月一日
大県支教会東側の井戸に付お言葉明治三十年十一月二十五日
平安支教会を奈良県生駒郡龍田町大字龍田字馬場百八番屋敷へ移転願(板倉槌三郎を担任教師と定め、松村吉太郎を移転式祭主、平野楢蔵を付き添いとして移転式の願)明治三十年十二月二十四日
山沢由松二十六才身上伺(十一月十八日より大熱病に罹り)明治三十年六月三日
柿谷達太郎長女おわか四才身上願明治三十年九月二十四日
久保音松伜竹松身上願明治三十年十二月二十七日
藤原吉次郎次女シヅヱ一才身上目の願明治三十年二月一日
増田亀次郎身上願明治三十年三月二十九日
永尾楢次郎静岡県下へ出向きし先にて、身上障りありしに付、帰部の上心得のため願明治三十年五月十日
富松清三郎身上願明治三十年六月二十四日(陰暦五月二十五日)夜
西浦弥平妻しを身上願明治三十年八月二十日
高安分教会新築に付、松村吉太郎心得のため願明治三十年十月三日
島ケ原支教会長万田万吉妻まつ出直しに付心得まで願明治三十年十一月二十五日
清水はる腰痛の願明治三十年十二月二十五日
城島部内水間出張所一同協議の上、田原支教会へ所属替えの願明治三十年六月九日
山田元平身上願明治三十年九月二十五日
平野身上願明治三十年二月一日
平野楢蔵身上願明治三十年三月三十日
高知分教会長松村菊太郎身上願明治三十年五月十八日
山田作治郎三女たみゑ三才身上願明治三十年六月二十六日
清水与之助心得まで地所の願明治三十年八月三十日
山田作治郎身上願明治三十年十月五日
富松たみ身上願明治三十年十一月二十七日
飯田岩治郎の件に付、北分教会所の事情、会長初め役員五六名立会の上先々心得のため願明治三十年十二月二十五日
清水与之助咳に付願明治三十年六月十一日
永尾徳松妻志賀四十一才身上願明治三十年九月二十七日
寺田松太郎妻鶴事情願明治三十年二月十九日
郡山分教会山陰支教会長外役員一同身上の願明治三十年三月三十一日
陽暦四月十四日より本局神殿新築落成奉告祭に付、本部長外随行員五名と分教会長残らず、支教会長代理として三名程出頭する事御許し下さるや願明治三十年五月二十一日
奈良支教会長森川重太郎長男宇次郎三十一才大熱下だり願明治三十年六月三十日
山本もん六十七才身上願明治三十年八月三十一日
南紀支教会長下村賢三郎母しま七十四才身上願明治三十年十月八日
南紀支教会長下村賢三郎母しま七十四才身上願明治三十年十一月二十九日
平安支教会長を板倉槌三郎に変更の上、龍田村元すみやへ仮りに移転願明治三十年十二月二十九日
梶本宅治め方事情願明治三十年六月十三日
山中かめ身上願