明治二十三年五月二十日
柏原分教会設置出願の願(中河分教会)明治二十三年六月三日(陰暦四月十六日)午後三時
本席御身上腹突張り頭痛に付願明治二十三年六月十五日(陰暦四月二十八日)午後八時三十分
本席五六日前より腹差し込み、本日左の歯厳しく痛むに付願明治二十三年六月二十七日
辻忠作、栄蔵、かめ、この間より咳出で病いに付願明治二十三年七月六日 朝
姫路支教会地所の願(飾東支教会)明治二十三年七月十八日
梅谷四郎兵衞願明治二十三年八月七日
寺田城之助身上願明治二十三年八月十九日 午前二時三十分
刻限明治二十三年八月三十日 午後十一時
刻限明治二十三年九月五日
飯降政甚身上の願明治二十三年九月二十一日
小松駒吉養母出直に付伺明治二十三年十月五日(陰暦八月二十二日)午後九時
本席身上御障り願明治二十三年十月二十八日
村田長平願明治二十三年十一月十七日(陰暦十月六日)
親族一同御引寄せに付、中山会長、前川菊太郎、梶本松治郎お寄せの上、たまへ身上障りに付御伺あり(前おさしづに基き縁談の事を御知らせ下されますか御願)明治二十三年十一月二十八日
村田かじ身上願明治二十三年十二月七日(陰暦十月二十六日)夜十時
会長たまへ御結婚御盃を本席より御始めなされし際の御話明治二十三年十二月二十七日(陰暦十一月十六日)
寺田国太郎咳出で息どしきより願明治二十三年一月三十日
植谷元治郎二十二才(山城国愛宕郡大原村周旋方)明治二十三年四月十日(陰暦二月二十一日)
磯村卯之助眼に黒星廻り紅色を発するに付伺明治二十三年五月二十三日
村田忠七伺(郡山)明治二十三年八月二十五日
増田とみ二十三才(郡山柳町三丁目)明治二十三年十二月三十一日
今川聖次郎長女ヤス身上伺(手も足も少しも動かぬ。おぢばへ御伺いに出る。御願中身上は救かる。神が悩みを付けて引き寄せたのである。)明治二十三年一月十三日
遠州山名分教会部下支教会を榛原郡白羽村に小栗市重、支教会長として設けること御許しの願(白羽支教会)明治二十三年一月二十六日
増野いと左の腹骨の痛みに付伺明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
御守はこれまで教祖の御衣物を御守に用い来たりしに、皆出して了いになり、この後は如何に致して宜しきや伺明治二十三年三月二十七日(陰暦二月七日)午後九時三十分
本席御身上より刻限明治二十三年四月十六日
増野正兵衞小人道興目かい乳を上げるに付伺明治二十三年四月二十四日
煮炊場所三間、風呂八尺、物入一間、漬物入二間としてこれで御許し下されますや願明治二十三年五月八日(陰暦三月二十日)夜
本席より胸に差し込むに付願明治二十三年五月二十一日
桝井伊三郎普請の事情願明治二十三年六月三日
山本利三郎娘あい身上の願明治二十三年六月十七日 午前三時半
一昨十五日おさしづに基き一同協議の上伺明治二十三年六月二十八日
前川菊太郎伺明治二十三年七月六日
清水与之助身上腹痛二度下るに付願明治二十三年七月十八日
増野いと居所の障り願明治二十三年八月九日
鴻田忠三郎願明治二十三年八月十九日 午前四時十分
刻限明治二十三年九月一日(陰暦七月十七日)
中山会長胸のつかえ、咳出で身上御障りに付御願明治二十三年九月五日
飯降政甚兵神分教会へ出越しの願明治二十三年九月二十二日
増野正兵衞前身上障り御守護を蒙り申さず、尚だん/\重り熱強く食事味無きに付願明治二十三年十月五日 夜十一時
刻限御話明治二十三年十月二十八日
桝井伊三郎身上願(居所病みに付)明治二十三年十一月十九日
兵神分教会部下加古支教会増築出来上り、来る十一月二十六日、二十七日の両日開講式執行致し度に付願明治二十三年十一月二十八日
今村熊太郎次男時三郎熱病に付伺明治二十三年十二月八日
大阪天恵五番小松駒吉内々会計事情に付おさしづ明治二十三年十二月二十七日 午後一時
山本藤四郎身上願明治二十三年二月十五日(陰暦閏十二月二十六日)夜
増田ならえ身上の障り願明治二十三年四月十四日
中西市兵衞四十八才(斯道会百二十四号、江州蒲生郡里口村周旋方)明治二十三年五月二十三日(陰暦四月五日)十一時
山瀬伺(郡山)明治二十三年八月二十六日
岩崎源右衞門身上障りに付願(若狭国)