明治二十三年八月一日
兵神部下にて三木、山田、黒川、喜多村四講より三木に於て、一つ支教会を願いに参り居ります、兵神分教会にて人間心治まり兼ねようの願明治二十三年八月十二日 午後十時
前おさしづ夜と昼と裏表の理に付伺明治二十三年八月二十四日
山沢為造身上障りに付伺明治二十三年九月三日(陰暦七月十九日)
橋本清、中山会長の仰によって東京に滞在、この度神官教職と分離の事に付、本局管長の御談示によって残りあり、呼び戻しの書面を出しまして宜しきや伺明治二十三年九月十六日
上田いそおさづけさしづ明治二十三年九月二十九日
増野正兵衞咳出で身上しんどくに付伺明治二十三年十月十七日(陰暦九月四日)
前栽酒屋所持の田地買入れの事願明治二十三年十一月十三日
東部内牛込支教会設置願明治二十三年十一月二十四日(陰暦十月十三日)
前おさしづにより会長へだん/\と御縁談の事を申入れし処御承知成し下され、たまへへも御伝えせしも是亦御承知成し下されしによってこの旨伺明治二十三年十二月一日
増野いと一昨日神戸より帰り、昨日胸悪しく食事進まずなれども今日身上速やか御救け頂き、又前々帰り次第席を許すにより連れて出よとの事に付、如何でありますや願明治二十三年十二月十九日
永尾楢次郎身上伺明治二十三年一月十七日(陰暦十二月二十七日)
岩崎新兵衞四十九才身上願明治二十三年四月二日
山添利兵衞四十六才(江州蒲生郡山本村斯道会講元)明治二十三年五月七日
深谷源次郎願明治二十三年七月五日 朝
上原佐吉願明治二十三年十一月十九日
松尾唯之助妻身上願明治二十三年頃
増田民蔵伺