明治二十三年一月十日
松村れい五十二才(奈良県高市郡高市村大字岡第九十二番地)
さあ/\だん/\の席返し/\の席をして、一日の日は生涯心一つの理を以て一つ席。席順序一つの理はよく聞き分け。生涯の理を諭そ。生涯の理を諭するには難しい事は一つも言わん。どうせこうせはこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何彼の理も鮮やかという。それ人間という身の内という皆神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理でも、日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理、自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々常に誠一つ、誠の心と言えば一寸には皆弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まる。そら世界という成程という成程の者成程の人というが、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す中に互い扶け合いというは諭する理。人を救ける心というは真の誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つこれまで運ぶ尽す一つの理は内々めん/\事情理に治め。これより先永く事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\授けよう/\。あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍又三遍又三遍三々々の理を授けよう/\。さあ/\しいかり受け取れ/\。