明治二十三年七月三日
松井善助次男三木造願明治二十三年十一月七日
天野善七身上願明治二十三年頃十月二十八日
中井宗七身出もの、妻ちく腹へ出もの御障伺明治二十三年一月二日(陰暦十二月十二日)
村田長平身上事情願明治二十三年一月二十四日
増野正兵衞身上の居所昨日より、大便の後に血が下り、本日又左の奥歯少し痛むに付伺明治二十三年二月十六日
増野正兵衞食物を上げ、右の足のきびす痛み、道興夜々泣き、乳を戻すに付伺明治二十三年三月十七日
井筒梅治郎一人で行き、立売堀三丁目家屋敷買受の件伺明治二十三年四月七日
増野正兵衞身上障り又いと下りものに付伺明治二十三年四月二十一日
おぢばの西の柵、足達源四郎の境に壁を拵える事願明治二十三年五月二日 午後
堺朝日組、神世組合併の上支教会所御許しの願(堺支教会)明治二十三年五月十五日
真明講事務所開きに付願(橋本清出張を伺う)明治二十三年五月三十日
梶本松治郎頭痛に付伺明治二十三年六月十二日 午後六時
梶本松治郎身上伺明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)午後九時十五分
本席身上御障りに付願明治二十三年七月二日
寺田半兵衞身上障り伺明治二十三年七月十四日(陰暦五月二十八日)
北地の井戸より台所へ水道を引く願明治二十三年八月一日
清水与之助先月三十日午前一時頃より三時頃までの間に下り四度、上げ一度厳しく障りに付願明治二十三年八月十二日 午後八時
本席御身上願明治二十三年八月二十三日
桝井伊三郎の向いの田地の土を掘り取りて、桝井の居宅の地上げる事の御許し願明治二十三年九月三日
橋本清の事、上原佐助伺明治二十三年九月十六日(陰暦八月三日)午前十時頃
刻限明治二十三年九月二十九日
上田ナライト二十八才身上願明治二十三年十月十三日
飾東支教会棟上げの願明治二十三年十一月十二日
中山たまへ身上に付御伺明治二十三年十一月二十三日(陰暦十月十二日)
御願明治二十三年十二月一日
先年神様より賜わりたる赤衣を父栄治郎の霊として拝すべきや、又は親神様として拝すべきや松村吉太郎より伺明治二十三年十二月十八日(陰暦十一月七日)
清水与之助身上願明治二十三年一月十七日(陰暦十二月二十七日)
岩崎新兵衞娘おさく十七才縁談願明治二十三年三月三十一日
深谷源次郎目の障りに付伺明治二十三年五月六日
虫明元三郎五十五才(備中国浅口郡地頭下村真明組周旋方)明治二十三年七月五日
東保太郎三十九才身上願明治二十三年十一月十日
柴田弥兵衞妻たき十七才願明治二十三年頃
増田甚七伺明治二十三年一月三日(陰暦十二月十三日)
巡査毎日々々尋ね来るに付、別席本席順序運んで居ては、何分ひっそ/\になりませんから、暫く休みまして如何伺明治二十三年一月二十五日
飯降政甚の供致し、本日帰会致しますと清水与之助より願明治二十三年二月二十八日
隣家地所買入急にする方宜しきや、暫時見合わす方宜しきや、増野正兵衞伺明治二十三年三月十七日(陰暦正月二十七日)
高井猶吉小人目かい障り伺によって同じ事情聞かせ下され明治二十三年四月八日(陰暦二月十九日)
村田長平伜慶蔵身上願明治二十三年四月二十一日
赤心社新株を募り、引続き加入するか又は止めにする方宜しきや願明治二十三年五月二日
河原町分教会所部内宇治田原に支教会所御許し願(宇治田原支教会)明治二十三年五月十五日
平野トラ百日から腹鳴るに付願明治二十三年六月二日 午後六時
梶本松治郎頭痛にて治らんに付二度目の願明治二十三年六月十四日 朝
兵神分教会部内真明講社播磨国飾磨津講元紺谷久平支教会所設立事情に付、分教会長清水与之助飾磨出張願明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)
山中忠七扇の伺の事に付伺明治二十三年七月三日(陰暦五月十七日)
普請一条の事に付伺(一旦御許しのありし事も、又これはという時は、神様へ一々御伺致しますものか、又その時は本席に談じて宜しう御座りますか伺)明治二十三年七月十四日(陰暦五月二十八日)
台所の悪水溜取り除け且この近所不潔に付漆喰をする事の願明治二十三年八月一日
兵神部下にて三木、山田、黒川、喜多村四講より三木に於て、一つ支教会を願いに参り居ります、兵神分教会にて人間心治まり兼ねようの願明治二十三年八月十二日 午後十時
前おさしづ夜と昼と裏表の理に付伺明治二十三年八月二十四日
山沢為造身上障りに付伺明治二十三年九月三日(陰暦七月十九日)
橋本清、中山会長の仰によって東京に滞在、この度神官教職と分離の事に付、本局管長の御談示によって残りあり、呼び戻しの書面を出しまして宜しきや伺