明治二十七年二月二十二日
深谷徳郎二才身上願明治二十七年五月十九日
伊沢彦右衞門身上願明治二十七年六月二十八日
麻植房次郎妻三十四才身上伺(撫養分教会副長妻)明治二十七年九月二十日
久木貞蔵身上願明治二十七年一月十八日
兵神部内北海道高島郡小樽稲穂町二十一番地岩田正吉事務所にて、古川吉平この度同所へ分教会より布教のため一人差し向けくれと同人より頼みに付願明治二十七年二月二日
船場部内堀江支教会台所新築の願明治二十七年三月四日 夜
刻限(この日四時頃より本席俄かに歯痛)明治二十七年三月二十九日
本席陰暦三月節句前後高知分教会へ御出張の願明治二十七年五月十二日
本部長御津支教会より船場分教会に引き取り、引き続き大江支教会へ御越し下さる処御許しの願明治二十七年五月二十八日
前川喜三郎身上願明治二十七年六月十七日
本席腹ひっくり返えるようになり身上に付願明治二十七年七月十日
上田嘉治郎身上両足に浮き回り、顔にも浮き回るに付願明治二十七年七月三十日
朝鮮事件に付明日より三日間軍人健康祈祷執行願明治二十七年八月二十二日
増野正兵衞去る十日頃より声かすみ且つ左の目障りに付伺明治二十七年九月十四日(陰暦八月十五日)午後十時
飯降まさゑ、松村五三郎縁談の願明治二十七年十月十九日
東分教会これまで陽暦十月二十五日二十六日両日を以て大祭執行致し居る処、この度日清事件に付本年に限り一日だけにして成るだけひっそうにして御祭致し度きに付願明治二十七年十一月十三日 午後二時
刻限御話明治二十七年十二月十二日 夜二時半
刻限(永尾よしゑ身上願後にて)明治二十七年二月二十七日
上原佐助小人身上願明治二十七年五月二十一日
徳本伝太郎長女はな十九才身上願明治二十七年七月一日
藤北嘉十郎光岡貞蔵両家火災、外に光岡麻蔵出直しに付伺明治二十七年九月二十五日
大江勝之助四十三才身上願明治二十七年一月二十日
御墓所の古池の南西大きくなして地普請致し度く願明治二十七年二月二日
山田作治郎母身上願明治二十七年三月四日 十二時半頃
刻限御話明治二十七年四月三日 午後二時
刻限御話(但しまさゑ縁談の話)明治二十七年五月十二日
大江支教会教祖赤衣の事治める願明治二十七年五月二十八日
河原町部内近愛支教会所設置仕り度きに付再び願明治二十七年六月十七日
郡山分教会へ岩崎吉三郎、小原亀次郎入り込みの願明治二十七年七月十日
平野楢蔵身上願(東国地方へ布教に行きて帰りし後障りに付)明治二十七年七月三十日
前川梅三郎二十五才身上の願明治二十七年八月二十三日
上田民蔵小人身上障り伺明治二十七年九月十七日(陰暦八月十八日)
中山こかん二十年祭又来年は中山秀司の十五年祭御勤の儀如何と願明治二十七年十月二十一日
日本橋分教会長出直しに付、後任伜二代目、中台勘蔵(旧名平次郎)に任する願明治二十七年十一月十三日 午後五時
刻限御話明治二十七年十二月十四日
おかぐら式の絵図御許し願明治二十七年二月二十八日
山中とめ四十二才身上願明治二十七年五月二十一日
上西休治郎妻身上願(兵神部内)明治二十七年七月三日
山野直吉身上願(下田支教会足柄出張所長)明治二十七年九月二十六日
藤井おまさ十八才身上願明治二十七年一月二十日
正月には前年十二月二十日より正月十五日まで御休みの事願明治二十七年二月三日
教祖御墓地山の続きの地所買い入れし事願明治二十七年三月五日 夜十二時
教祖御霊屋のうしろへ三間に二間一棟建物事情願明治二十七年四月三日 午後五時五十分
先のさしづより御尋ね願(但し松村五三郎の件)明治二十七年五月十二日
南海分教会火災に付改めて普請の願(教会所は九間に十間の建物)明治二十七年五月三十一日
前川喜三郎葬祭埋葬地豊田山の願明治二十七年六月十七日
矢追楢蔵の願明治二十七年七月十一日
高安部内古市支教会浅野喜市出直せしに付、後任の処同人小児を以てするが宜しきや又役員を見分けてするが宜しきや伺明治二十七年七月三十日
刻限御話(前川梅三郎身上願後引き続きて)明治二十七年八月二十七日
中山会長より直に御願(奈良郡長より軍事公債の事に付知事より御話これある由言う事にして宜しきか心得まで御願)