明治二十七年十月二十五日
日野利三郎四十九才身上願明治二十七年一月二十一日
島ケ原支教会長万田万吉小人靖次郎身上願明治二十七年二月十四日(陰暦正月九日)夜
刻限明治二十七年三月十日
永尾よしゑ身上に付願(眼の障り)明治二十七年四月三十日
大江支教会長妻中西ゆき身上の願明治二十七年五月十八日
上田いそ身上願明治二十七年六月七日(陰暦五月四日)
平野トラ身上願明治二十七年六月二十七日(陰暦五月二十四日)
山沢ひさ身上熱ありのぼせに付願明治二十七年七月十二日
井筒梅治郎笠岡支教会副会長西山平四郎辞職願い出でに付、会長として治め方の心得まで願明治二十七年八月十六日(陰暦七月十六日)
日清事件人夫事情に付願(日清事件につき当本部より人夫五百人寄付の次第陸軍大臣へ願い出の処、当日義勇兵出願者に対して差し止めの大詔煥発相成りし故、福家秘書官の意見を諒し、名古屋師団へ出願の処、普通人夫としてより採用これ無きに付、一先ず帰本して本部員会議を開き、義勇人夫として採用これ無き時は一先ず見合わし、金円にて一万円献納の願)明治二十七年九月一日(陰暦八月二日)
桝井伊三郎小人孝四郎を高知分教会長島村菊太郎よりくれとの事情、喜多治郎吉より願明治二十七年九月二十六日
日本橋会長中台勘蔵出直しに付、教長御上京願明治二十七年十月二十七日
増野正兵衞身上の願明治二十七年十一月三十日 午前一時
刻限御話(政甚事情お話の前余程お苦しみあり)明治二十七年十二月二十三日
郡山部内榊原出張所は従前津支教会付属の処、中和支教会の直轄に願明治二十七年四月五日
中西荘六身上願明治二十七年六月十一日
礒田こめ十八才身上願明治二十七年八月三日
山瀬文次郎郡山へ立ち戻り、飯原久吉再び南都へ入る願明治二十七年十月二十五日
柏原友吉身上願明治二十七年一月二十二日 午後一時二十分
本席御身上願明治二十七年二月十四日 夜
増野正兵衞身上歯の痛みに付願明治二十七年三月十一日
橋本清、平野楢蔵両名関東地方の講社巡廻致し度く願明治二十七年五月二日
南海分教会の火災見舞として本部及び教長本席詰合より有志の儀御願(教長百円、本席百円、本部員一同より百五十円、分教会より八百六十四円)明治二十七年五月二十三日
本席一点に付四点の理由の事願明治二十七年六月八日
東分教会敷地を本部長御名前に切り替える願明治二十七年六月二十八日
村田幸助身上願明治二十七年七月十二日
増野正兵衞今朝起きて頭重く頭痛に付願明治二十七年八月十六日
この度日清事件に付徳島県庁より日和佐支教会及び同地方への達しには、狼火(のろし)打ち上げたれば片付けをして遠方へ逃れよとの事でありますが、その時如何致しましたものや願明治二十七年九月五日
清水与之助の事件に付願明治二十七年九月二十六日
日本橋中台出直しに付、本部より増野正兵衞、桝井伊三郎両名上京願明治二十七年十月二十七日
井筒梅治郎妻とよ身上大熱に付願明治二十七年十一月三十日
上田嘉治郎身上迫るに付、はた/\心得のため願明治二十七年十二月二十三日
梅谷梅次郎、藤沢南岳塾へ入塾願明治二十七年四月八日
安村甚松四十才身上願(中背支教会役員)明治二十七年六月十二日
杉本定蔵身上願明治二十七年八月三日
大江勝之助身上願明治二十七年十一月四日
堀内与蔵伜菊松願