明治二十八年一月十九日
宮森与三郎母身上心得まで願明治二十八年三月六日
喜多治郎吉宇佐支教会へ派出御許し願明治二十八年三月二十九日
天理云々に付中山会長心得までに願明治二十八年五月十日 午後
教長昨夜南海より帰部、御身上手足自由叶わぬ事情御願明治二十八年六月七日
河原町分教会治め向きに付願(平野楢蔵、桝井伊三郎両人より)明治二十八年七月四日
本部より豊田村へ行く道路三島村の分を取り広めの入費の件に付、今一時掛かるものや、暫時村の成り行きを見て居る方宜しきや心得の願明治二十八年七月二十八日
岡本栄太郎小人の身上願明治二十八年八月二十三日(陰暦七月四日)
藪の北の方田地一町三反余の地所買い入れ約定致しましたが御許し願明治二十八年九月二十五日
北出政吉奈良の方へ引き越し願明治二十八年十月二十四日
山名分教会より事務所本部近傍にて地所買い入れ建築致し度く願(就ては鈴木由太郎地所買い入れ度く願)明治二十八年三月二十三日
足立亀助身上願(福知山支教会長)明治二十八年八月十九日
磯村卯之助五十三才身上(コレラ病)願(兵神分教会理事)明治二十八年十一月九日(陰暦九月二十三日)
武田平吉二十八才身上願(本人北分教会へ来る道中にて身に障り付、神戸市楠町六丁目百七十八番地に住居岩尾岩松方に世話に相成り、おさしづ頂戴す)明治二十八年一月二十五日
上志兵治郎地所買い入れ御許し願明治二十八年三月六日
檪枝の堀内与蔵小人三人の事に付願明治二十八年四月四日
辻豊三郎ととめぎくと縁談の儀願明治二十八年五月十二日
飯降政甚東の方へ治まりて後を継ぐ事情運ぶ件願明治二十八年六月八日(陰暦五月十六日)
豊田村より三島村道路二間道路に取り広めの願明治二十八年七月五日
永尾楢次郎小人せつ出物身上願明治二十八年七月二十九日(陰暦六月八日)夜十一時頃
飯降政甚、小梅結婚御盃注ぎ終りに至り御話明治二十八年八月三十一日(陰暦七月十二日)
本席歯の御障りに付御伺明治二十八年九月二十七日
本席御身上腹痛み治まり、又本日右の足痛みに付願明治二十八年十月二十四日
井筒梅治郎身上願明治二十八年三月二十七日
山村のゑ身上願明治二十八年八月二十三日
磯村卯之助出直し、あと心得の願明治二十八年十二月三日
山瀬家内身上願明治二十八年二月八日 午前十時
社寺局より質問の点有之就ては神道本局へ証明書持参のため前川菊太郎、橋本清上京御許し願明治二十八年三月九日
高安分教会負債金嵩みしに付、所有の地所悉皆売り払いの上、返済致し度きに付御許し下さるや願明治二十八年四月五日
教長本局管長御迎えのため出発御許し願明治二十八年五月十三日 午後三時
教長御身上願明治二十八年六月八日
高安分教会敷地地所転地の儀心得まで願明治二十八年七月七日
城島分教会長上村吉三郎身上願明治二十八年八月一日
山沢サワ腹痛に付事情願明治二十八年八月三十一日(陰暦七月十二日)
本部裏藪取り払うて東西北へ石垣塀並びに北へ門を設ける御許し願明治二十八年九月二十八日
富松たみ身上願明治二十八年十月三十一日
増野いと居所障り日々一時に痛みては下り、小人おとも口中怪我して熱差し、夜々泣きて困るに付願明治二十八年三月二十八日
吉岡栄蔵妻さと身上願(近愛支教会長妻)明治二十八年八月二十五日
森岡亀吉子供身上願明治二十八年十二月五日
宮森宅二間に六間建物願明治二十八年二月十八日
中山重吉南の方へ普請致す処、図面の通り申し上げ願明治二十八年三月十日
教祖御霊殿本部北寄りで六間に八間の建物建築致し度きにより願明治二十八年四月十日
高安分教会教祖を御祀り致し居りし座敷取り払い教祖の御殿を新築致し度く、就ては右座敷は教祖の御入り下されし座敷に付取り払いても可然や伺明治二十八年五月十三日 夜九時半
教長御身上大変迫りしに付御願明治二十八年六月九日(陰暦五月十七日)
本席御身上の願明治二十八年七月十日
山名部内愛知支教会事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両人治め方願明治二十八年八月三日 夜
六月十九日飯降政甚婿入りに付大阪へ出越し、小梅身上障りに付共に帰りの上願明治二十八年八月三十一日
兵神講社取扱事務所本部近傍にて求めたる地所へ四間十二間棟付東に掛け下ろし致し普請の願明治二十八年十月二日
事情願の後におさづけ一人加え御願い申し上げしに付御話明治二十八年十一月二日
高安分教会、本部近傍にて郡山増田甚七の地所を買い受け、高安事務所設置致し度く願明治二十八年四月三日
柿谷達太郎身上願