明治二十八年二月二十五日
飯降政甚と大阪宮川小梅との縁談の儀運び人の心得の願明治二十八年三月十一日
村田慶蔵普請事情に付願明治二十八年四月十一日
足達保治郎四畝二歩宅地買い入れ御許しの願(本席宅東の地所)明治二十八年五月十九日
陸軍恤兵部より、軍資献納に付明細書差し出す儀通知有之に付、如何致して宜しきや願明治二十八年六月九日
普請小屋及び木材小屋東隣り地へ持ち行く願明治二十八年七月十二日
教長御全快に付、本復御祝の願明治二十八年八月九日(陰暦六月十九日)夜
増野正兵衞大阪より帰りし上大阪にて腹痛又留守中妻いと身上に付併せての願明治二十八年九月十三日
網島分教会事務所二間に三間これを先に建て、仮に親神様教祖御遷り御祀り致し度き願明治二十八年十月三日 夜
富田伝次郎身上願明治二十八年十一月五日
五条支教会担任富松猶次郎辞職に付、後任前田喜四郎に願明治二十八年五月二十九日
江藤すゑ縁談事情願(東肥支教会)明治二十八年九月十四日
上川孫兵衞五十二才身上願明治二十八年十二月二十三日
白藤常松身上願(加古支教会役員)明治二十八年二月二十六日
教祖御霊舎新築の儀願明治二十八年三月十二日
梅谷分教会部内に属し度くと願い出でし黒崎太治郎は、先達て不都合の処ありて一先ず退社命じたる者なるが、この度改心して入社申し込みしに付如何計りて宜しきや心得までの願明治二十八年四月十一日
増野正兵衞小人二人の目の障りに付願明治二十八年五月十九日 午後七時半
分支教会長一同帰部の上、教長御身上に付、本部員共に分支教会運び方将来心得事情願明治二十八年六月九日
豊田の道路中石橋架する願明治二十八年七月十二日
過日増野正兵衞身上おさしづより道のため尽し果てたるもの見分け引き上げの事情は人間心で取り決め兼ねます故神様より御知らせ下されますものや伺明治二十八年八月十日(陰暦六月二十日)
前川菊太郎本局より電信にて申し来たり上京の願明治二十八年九月十三日
増野いと身上の願明治二十八年十月七日 夜十時
刻限御話明治二十八年十一月六日
増野正兵衞前おさしづに基づき願明治二十八年五月二十九日
西松太郎身上願明治二十八年九月十九日
柏原友吉四十四才身上願明治二十八年二月二十六日
北やしきの納屋東新やしきへ移す事願明治二十八年三月十二日
永尾楢次郎小人身上願明治二十八年四月十七日
本席目の御障り御伺明治二十八年五月二十二日 朝
前川菊太郎副会長選定の願明治二十八年六月十九日 午前
本席御身上願明治二十八年七月十三日
山名部内愛知支教会事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両人出張の願明治二十八年八月十日(陰暦六月二十日)
増野正兵衞身上おさしづより考えますと、日々勤務致して居りますがその人数増すようとの事と存じます、如何にや願明治二十八年九月十五日
東分教会整理のため前川菊太郎、平野楢蔵出張の願明治二十八年十月十一日
本席四五日前より御身上御障りに付、本日本席に御出ましに相成り御願明治二十八年十一月九日
城甚三郎藪地買い入れの願明治二十八年六月二十一日
家田市太郎三十才身上願明治二十八年九月二十二日
森岡亀吉身上願明治二十八年二月二十六日
島ケ原支教会を分教会に引き直す事情の願明治二十八年三月十三日
内務省より事情申し来たり前川菊太郎、橋本清上京に付御許しの願明治二十八年四月十九日
内務省より鳴物の内三味線入れるのを喧しく言うによって、三味線に代え琵琶のようなものに御許しの願明治二十八年五月二十三日
山沢ミキノ身上願明治二十八年六月十九日
教長より部下の道のため熱心者へ金一千五百円御下与に相成りしに付ては、如何致して宜しきや願(教長御全快に付御喜びとして御手許より一千五百円を道のため尽して居る者へお下げ下さるに付、本部よりも一千五百円足して下げるもので御座りますや、又教長の分だけで宜しう御座いますや)明治二十八年七月十四日
芦津部内西宮支教会高橋、橋本両人の事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両名出張願明治二十八年八月十日(陰暦六月二十日)
前おさしづの後にお話しあり(会計の件に付てのおさしづ後)明治二十八年九月十五日
中河分教会事情願明治二十八年十月十四日
高安分教会所を村の乾方所有地所並びに接近地所買い入れの上転地の儀心得まで願明治二十八年一月十五日
小倉新造二十四才身上願(津山)明治二十八年六月二十三日
南辰平妻さと六十一才身上願明治二十八年九月二十八日
深谷徳次郎二十六才身上願明治二十八年二月二十六日
泉支教会平井恒七辞職に付、小倉芳治郎後任願