明治二十八年七月十九日
神沢瀧蔵五十六才身上願明治二十八年八月十八日
橋本清、喜多治郎吉両人越後佐渡地方に派出の件伺明治二十八年九月二十二日
仲田楢吉、西村喜之助布教のため出度く願明治二十八年十月十九日
平野トラ身上願明治二十八年三月十一日
郡山分教会部内池田支教会所地所の処三方の事情申し上げ願(中和)明治二十八年七月二十四日
小西勝助五十才身上願明治二十八年十月二十九日
板倉槌三郎子息国太郎身上願明治二十八年一月十四日
内務省社寺局より浪花新聞の件に付申し来たりしより、橋本清上京に付伺明治二十八年三月三日(陰暦二月七日)
浅田いそ身上願明治二十八年三月二十四日
陰暦四月五六日宇佐支教会開講式に付本部長出張の儀御許し可否願明治二十八年五月五日
山田伊八郎及び小人三名の障り願明治二十八年五月三十一日 夜十時頃
教長脳の芯痛むに付身上願明治二十八年七月一日
村田幸助四十四才身上目の障りに付願明治二十八年七月二十一日
これまで本部御許しの上本局添書下り次第伺い仕る処、御休務に相成るに付、一時に御許しを御伺いしても宜しう御座いますか、又一々御願申し上ぐべきや願明治二十八年八月十九日(陰暦六月二十九日)
藪の北方田地一町三反余買い入れる事御許し下さるや願明治二十八年九月二十二日
中山まさ身上願明治二十八年十月十九日
村田すま身上願明治二十八年三月十二日
柴田久兵衞妻よね五十四才身上願明治二十八年七月二十八日
中川久蔵妻小ふじ六十四才身上願明治二十八年十一月二日
空地善右衞門身上願明治二十八年一月十四日
諸井ろく身上願明治二十八年三月四日
島ケ原支教会を分教会に引き直しの件に付、初めての事ゆえ念のため心得まで願明治二十八年三月二十五日
下村賢三郎病気に付、山沢為造尋ねに行く事御許し願明治二十八年五月十日
教長南海分教会にて身上御障りに付事情申し上げ願明治二十八年六月四日
桝井伊三郎母きく七十一才身上願明治二十八年七月二日
増野正兵衞の事情に付願(又家内いとの身上も願)明治二十八年七月二十三日
飯降政甚縁談陰暦六月八日に取り結ぶ願明治二十八年八月二十二日
平野楢蔵身上願明治二十八年九月二十二日
増野いと居所障り願明治二十八年十月二十二日
本部青年輩九州佐賀関へ布教に四名罷り出し処、信者も結成せしに付布教所御許し願明治二十八年三月十四日
焼山善治五十三才身上願明治二十八年八月十七日
東野善三郎身上願明治二十八年十一月六日
中村源次身上障り願(豊島出張所担任)明治二十八年一月十八日
中山重吉普請の願明治二十八年三月六日
梅谷分教会治まらぬ事に付、増野正兵衞、宮森与三郎出張致させ治め度きに付両人出張御許し願明治二十八年三月二十六日
郡山分教会長平野楢蔵熊本へ派出願明治二十八年五月十日
山田作治郎妻とめ前日身上障り有之し処、教長身上お障りに付、分教会に於て後々の心得のためおさしづ願明治二十八年六月七日
河原町分教会治め向きに付願(平野楢蔵、桝井伊三郎両人より)明治二十八年七月四日
本部より豊田村へ行く道路三島村の分を取り広めの入費の件に付、今一時掛かるものや、暫時村の成り行きを見て居る方宜しきや心得の願明治二十八年七月二十八日
岡本栄太郎小人の身上願明治二十八年八月二十三日(陰暦七月四日)
藪の北の方田地一町三反余の地所買い入れ約定致しましたが御許し願明治二十八年九月二十五日
北出政吉奈良の方へ引き越し願明治二十八年十月二十四日
山名分教会より事務所本部近傍にて地所買い入れ建築致し度く願(就ては鈴木由太郎地所買い入れ度く願)明治二十八年三月二十三日
足立亀助身上願(福知山支教会長)明治二十八年八月十九日
磯村卯之助五十三才身上(コレラ病)願(兵神分教会理事)明治二十八年十一月九日(陰暦九月二十三日)
武田平吉二十八才身上願(本人北分教会へ来る道中にて身に障り付、神戸市楠町六丁目百七十八番地に住居岩尾岩松方に世話に相成り、おさしづ頂戴す)明治二十八年一月十九日
宮森与三郎母身上心得まで願明治二十八年三月六日
喜多治郎吉宇佐支教会へ派出御許し願明治二十八年三月二十九日
天理云々に付中山会長心得までに願明治二十八年五月十日 午後
教長昨夜南海より帰部、御身上手足自由叶わぬ事情御願