明治二十八年六月二十一日
家田市太郎三十才身上願明治二十八年九月二十二日
森岡亀吉身上願明治二十八年二月二十六日
島ケ原支教会を分教会に引き直す事情の願明治二十八年三月十三日
内務省より事情申し来たり前川菊太郎、橋本清上京に付御許しの願明治二十八年四月十九日
内務省より鳴物の内三味線入れるのを喧しく言うによって、三味線に代え琵琶のようなものに御許しの願明治二十八年五月二十三日
山沢ミキノ身上願明治二十八年六月十九日
教長より部下の道のため熱心者へ金一千五百円御下与に相成りしに付ては、如何致して宜しきや願(教長御全快に付御喜びとして御手許より一千五百円を道のため尽して居る者へお下げ下さるに付、本部よりも一千五百円足して下げるもので御座りますや、又教長の分だけで宜しう御座いますや)明治二十八年七月十四日
芦津部内西宮支教会高橋、橋本両人の事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両名出張願明治二十八年八月十日(陰暦六月二十日)
前おさしづの後にお話しあり(会計の件に付てのおさしづ後)明治二十八年九月十五日
中河分教会事情願明治二十八年十月十四日
高安分教会所を村の乾方所有地所並びに接近地所買い入れの上転地の儀心得まで願明治二十八年一月十五日
小倉新造二十四才身上願(津山)明治二十八年六月二十三日
南辰平妻さと六十一才身上願明治二十八年九月二十八日
深谷徳次郎二十六才身上願明治二十八年二月二十六日
泉支教会平井恒七辞職に付、小倉芳治郎後任願明治二十八年三月十三日
上志兵治郎より買い入れし宅地へ石垣並びに塀拵え度き願明治二十八年四月二十七日
教長身上御障りに付、ほうそ守り遠方の人折角参拝せしも渡し兼ねるに付、本席に書いて頂きます事は如何で御座りますや伺明治二十八年五月二十六日(陰暦五月三日)
裏筋道路開き壁をする事願明治二十八年六月二十一日
上村吉三郎身上願明治二十八年七月十四日
檪本梶本家族おやしきへ引き越し事情願明治二十八年八月十日
東分教会治め方の願明治二十八年九月二十日(陰暦八月二日)
本席元御住居所中南煮炊場所取り払いの願明治二十八年十月十九日(陰暦九月二日)
分教会長より先々教会の神霊鎮座祭致し来たりしも、もう一段明かならざる故如何致して宜しきや伺明治二十八年二月十七日
柳田由松身上願明治二十八年六月二十七日
宇野善助身上願明治二十八年十月一日
久保清五郎身上願明治二十八年二月二十七日
天明講社八木布教所担任岸本の処事情有之に付、担任の処本部へ御預り下され度しと申すにより願明治二十八年三月十三日
増野正兵衞小人目の障りに付願明治二十八年四月二十七日
増野正兵衞目かい、小人おとも目にやに時には血が出る、首筋に大き出物の願明治二十八年五月二十六日(陰暦五月三日)
本席地所東足達保治郎所有之地所買い入れに付、川筋へ石垣する事御許しの願明治二十八年六月二十三日
兵神分教会教会に何か違いあるので御座いましようか、又疑うや御座りませんが若い者が一人出ましたのであります、右事情伺明治二十八年七月十五日
中河分教会副会長田中松二郎本宅出火に付事情願明治二十八年八月十四日
網島分教会の地所大阪市北区相生町三百七十九番地を買い求め度く願明治二十八年九月二十日(陰暦八月二日)
教長の座敷狭き故他の場所へ建築御許しの願明治二十八年十月十九日
東分教会長上原佐助これまで通り据え置く事を願明治二十八年二月十八日(陰暦正月二十四日)
堀田なみ六十三才身上障り伺(縁談事情に掛かりてありますか、又は外に間違いでもありますか願。靱役員)明治二十八年六月二十八日
津田政右衞門身上願明治二十八年十月二十三日
茶谷卯助四十五才身上願(南海部内東愛支教会会計)明治二十八年二月二十九日
神道本局幹事を教長に成りてくれとの事でありますが、御許し下されますや願明治二十八年三月十四日
平野楢蔵目の障りに付願明治二十八年四月二十九日
事情願の前におさしづあり明治二十八年五月二十八日(陰暦五月五日)朝
教長御身上の願明治二十八年六月二十四日(陰暦閏五月二日)
飯降政甚と宮川小梅縁談の儀双方内々運び致し本席教長本部員皆心運び方致し結構と申されしにより御許し下さるや願明治二十八年七月十五日
郡山部内龍間布教所却下に付、担任変更谷野音次郎を後任として再願の伺明治二十八年八月十四日
増田きぬゑ目の障り願明治二十八年九月二十日(陰暦八月二日)
たゞ今の座敷の北側へ二間程建てる事御許しの願明治二十八年十月十九日
東分教会副長加藤新兵衞事情願明治二十八年二月十九日
久木貞蔵六十六才身上願(撫養分教会会計掛)明治二十八年七月十三日
阪口安治郎身上願明治二十八年十月二十五日
石田玄益身上願