明治三十三年七月六日
郡山分教会山瀬文次郎本部準員に繰り上げの願明治三十三年九月三日
西村喜之助小人をのぶ身上願明治三十三年十月三日
本部より山辺郡福住村字大岸にある杉檜買い求め願明治三十三年十月二十七日
撫養部内名東支教会正木国蔵辞職に付、柏原源次郎を後任に願明治三十三年十二月一日
敷島分教会所教務所教祖外九棟の建物並びに塀石垣致し度く、尚御許しの屋敷内へ引き移り願明治三十三年二月八日
大東長三四十八才身上願(平安役員)明治三十三年四月十日
田代兵蔵五十九才身上願(河原町部内水口支教会理事)明治三十三年六月二十三日
内海共之身上願明治三十三年十月十日
松岡由清五十九才身上願(東肥支教会)明治三十三年一月十一日
上田民蔵小人なをえ目の処願明治三十三年一月二十八日
宮森ヒサ四十二才眼の障り願明治三十三年三月十三日
山名分教会長諸井清麿三十才身上願明治三十三年四月三日
山名分教会事務所北の方地所買い入れ願明治三十三年五月十六日
山沢ひさ小人為次身上願明治三十三年七月八日
清水与之助養女に西本みつ二十三才貰い受けの願明治三十三年九月四日
春野喜市長男貞造咳厳しくに付願明治三十三年十月三日
甲賀支教会長実父山田太良平七十二才身上願明治三十三年十月二十七日
畑林やす身上願明治三十三年十二月二日
本部事務の処、陽暦十二月二十六日より翌年一月十日まで休み、それより陰暦十二月二十日まで事務運びまして、同二十一日より陰暦正月九日まで休みまして、本部節会終り次第続きて陰暦正月十日より事務始める事に致せば、遠国の信徒も節会に参拝致しまして満足致しますと心得ますから、右の事に御許し下されますや願明治三十三年二月九日
市川助次郎三十八才身上願明治三十三年四月十一日
西松太郎及び家内身上願明治三十三年六月二十四日
荒井虎吉長男雪蔵二十才身上願明治三十三年十月十一日
狩野一平十四才身上願(日本橋部内溝呂木支教会所担任長男)明治三十三年一月十一日
鴻田捨菊山下の弟と縁談事情願(並びに鴻田内の東富森へ貸したる所で住居して、こちらへ貰い受けたものか、又向こうへやりまして宜しきや願)明治三十三年一月二十八日
鴻田捨菊身上願明治三十三年三月十五日
園原村上田たき七十才身上願明治三十三年四月三日
飯降まさゑ久しく背中の骨痛みに付願明治三十三年五月十七日
道の友改良の件や、道の友の事に付願明治三十三年七月十日
船場分教会類焼に付一同御詫びの上、あと/\心得のため願(去る六月二十七日東手なる紙屑屋より出火類焼に付)明治三十三年九月九日(陰暦八月十六日)夜九時頃
刻限(本席の御身上前日より大変御障りの処へ刻限の御話あり、本部員一同拝聴す)明治三十三年十月四日
高知分教会長島村菊太郎以前おさしづより願明治三十三年十月三十一日 午前二時
刻限御話明治三十三年十二月四日(陰暦十月十三日)
増井りん御守り拵える時に九つという処は、以前千人を一勤と聞かして貰て居りますがそこで千の内で九つでありますか、又は夏冬共御召し下されて御下げ頂きます数その中で九つでありまするか、この処願明治三十三年二月九日
植谷こう身上事情願明治三十三年四月十六日
市内かね六十七才身上願(中河分教会部内大堀出張所担任)明治三十三年六月二十五日
吉田梶太妻ムメノ三十七才右食指障りに付願明治三十三年十月十七日
浅井勝太郎四十六才身上願明治三十三年一月十二日(陰暦十二月十二日)
清水与之助、会長を富田伝次郎へ譲り、兵神分教会信徒一同より清水の居宅を建てることに付、兵神三島事務所と清水居宅と一所にして宜しきや、又は清水居宅別に建家する方宜しきや、将来心得願明治三十三年二月三日(陰暦正月四日)
毎年五日の日に村内の節会致せし処、本年より廃する事に一同談示の上教長へ運ばして貰いましたが、教長は、これは教祖存命の時より致し来たりし故、神のおさしづの上定めるが宜し、と仰せ下されるに付、如何して宜しきや願明治三十三年三月十六日
山辺郡杣之内山の官林払い下げに付、立木及び地所共本部へ買い入れの願明治三十三年四月四日
正木国蔵身上願(名東支教会長)明治三十三年五月十七日
松村吉太郎目の障りに付願明治三十三年七月十一日
清水与之助五十九才身上願明治三十三年九月十二日
平野楢蔵北陸支教会事情のため出張願明治三十三年十月六日
喜多治郎吉四十九才胸迫るに付願明治三十三年十一月二日
土佐敬誠身上願明治三十三年十二月四日
藤橋光治良三男光信一才身上願明治三十三年二月十一日
植谷こう出産事情願明治三十三年四月十九日
檜作徳之右衞門身上願明治三十三年六月三十日
畑地音松父宇左衞門身上願