明治二十四年四月二十五日
神道本局会議に付、部下分局及び直轄教会来集に付、当中山会長上京の願明治二十四年五月六日
船場分教会内の井戸の事情願明治二十四年五月十八日 午後十一時
刻限御話明治二十四年五月二十九日
梶本松治郎身上速やかならぬに付二度願明治二十四年六月十一日(陰暦五月五日)
山沢サヨ俄かに腹痛みに付願明治二十四年六月三十日
神道本局会議の結果を部内分支教会長及び詰員だけ集会して定めたものであるや、各講長も集めたものであるや伺明治二十四年七月八日
井筒梅治郎大阪へ帰る事の願明治二十四年九月九日(陰暦八月七日)
本家棟上げの事情願明治二十四年九月二十六日
江州八日市に於て河原町分教会部内湖東支教会設置に付願明治二十四年十月五日
城島分教会開筵式に付本席出張に、梶本松治郎、桝井伊三郎、鴻田忠三郎、辻忠作の四名随行伺明治二十四年十月十九日
島ケ原支教会出願の願明治二十四年十一月一日(陰暦九月三十日)
上田嘉治郎娘ナライト事情より願明治二十四年十一月八日 朝
山本コマツの願明治二十四年十一月十五日
山田作治郎身上願明治二十四年十一月二十二日
城島分教会部内伊賀阿部田村錦生支教会設置の件御許しの願明治二十四年十二月六日(陰暦十一月六日)
網島分教会所地所の願明治二十四年十二月二十一日
増井幾太郎身上速やかに付伺明治二十四年十二月
増野正兵衞井戸屋形新井戸の方へ引き、壁を二間程東へ引き、北手へ壁を建てる事の願明治二十四年二月六日
田中藤七小児十才身上障り願明治二十四年三月二十五日(陰暦二月十六日)
兵神分教会住居方に教祖を心だけ御祀り申し居る所三尺の間故、この度北の方一間の所へ御かわり下され度く願明治二十四年五月十四日
中彦五郎身上願(伊賀山田村)明治二十四年七月五日
広田岩蔵妻しな四十一才身上願明治二十四年八月十五日
小島七五郎四十才身上願(近江国高島郡青柳村大字下小川斯道会第百十八号)明治二十四年九月二十日
今村五平身上障りに付願(斯道会第七十五号講元)明治二十四年十月八日
宇野善助娘こん二十二才身上願明治二十四年十月三十一日
中井宗助母のぶ身上願明治二十四年十一月二十八日
奥野権平願(生駒)明治二十四年頃
沢田たみ顔に火傷の時願(和泉国大津村)明治二十五年一月十二日 正午
本席身上御障りに付伺明治二十五年一月二十一日
芦津部内福知山支教会へ永尾楢次郎出張の願明治二十五年二月三日
芦津部内西宮支教会陰暦十八日仮開筵式の願明治二十五年二月十二日
芦津分教会の支教会池田村に置く願(池田支教会)明治二十五年二月二十日
三重県より奈良県へ照会せしに付、伊賀地方布教のため橋本清、永尾楢次郎出張願明治二十五年二月二十九日
永尾よしゑ小児きぬゑ身上併せての願明治二十五年三月六日
中河分教会所地所一件に付願明治二十四年七月
増野正兵衞並びに道興の障りに付伺明治二十四年八月六日
増野正兵衞腹下り障りに付願明治二十四年九月三日(陰暦八月一日)
中山会長より前川菊太郎縁談事情心得のため御願(大阪宮川平三郎娘を貰う願)明治二十四年一月十三日
上原佐助妻つね及び長男義彦の家内中の願明治二十四年一月二十八日 夜八時半
刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)明治二十四年二月十日
増野正兵衞昨日鼻汁が出て何と無くしんどくて一日休み、今日は御陰を以て起きたるも未だ鼻汁が出てならぬに付如何と願明治二十四年二月二十一日
上原佐助の伺明治二十四年三月四日
梶本ミチ身上願明治二十四年三月二十一日
増野正兵衞神戸へ行き、帰りて見れば道興頭に出物に付伺明治二十四年三月二十九日(陰暦二月二十日)
本席御出立の願(御供、梶本松治郎、高井猶吉、平野楢蔵、増野正兵衞)明治二十四年四月十六日
中山重吉普請の事に付願明治二十四年四月二十五日
山名分教会部内愛知支教会設置願明治二十四年五月六日
辻由松娘キミ身上願明治二十四年五月二十日
山沢サヨ、ミキノ、サワ三人共身上障りに付願明治二十四年五月二十九日
松村吉太郎目の障りに付願