明治二十四年十二月一日
飯降さと身上願
さあ/\身の処尋ねる事情、一時事情いかなる事、身の処にて一時ならんという。事情どういう事と思う。何か違いであろう。何が違う。よう聞き分け。いかなる話いかなる事情、何も思わくあろうまい。なれど順々の道明らか。日々の事情という。治まりは十分。なれど身上事情ありて尋ねば重々、内々一つ又思わく立てる事要らん。立てようと思うたとて人間心で立たせん。外々皆んな聞く見る、聞き見た上、理が改める。改めば内々一つの事情、一時の処一寸は美しい中に住んで居る。人間という凡夫という事情ある。大層と言えば大層、一代の処は何でも立てゝ見せる。そこで事情よう聞き分け。内々心に寄せて暮らしある。先々事情、案じる事情あろうまい。大層と思えば大層、今の処育てゝやれ。育てゝやれば返やしがある。これあれば日々事情あろうまい。大層と思えば大層。これさえ尽してやったなら、先々案じは無いという。濁りに濁りの道があって通りた。これまでの処濁りの道、濁りの道は切って了う。これまでは可哀そうに、遠く所に出るに出られん。一日かと言えば十日という。通るに通れん事は無い。なれど淋ぶしい/\で通るのと、理は何ぼましか、察してみよ。これだけ諭し置く。
押して、可哀そうという処はどの処でありますか願
さあ/\遠い所というは、何もいう処、事情あらせんで。遠く辺所によって運ぶ事情、内々陰に理が有って表に理が無い。これさえ聞き分けば速やか。今に速やか。さあ/\遠い所というは、何もいう処、事情あらせんで。遠く辺所によって運ぶ事情、内々陰に理が有って表に理が無い。これさえ聞き分けば速やか。今に速やか。