明治三十四年一月十九日
葭内与市身上願(入江支教会長)明治三十四年五月八日
井上佐市四十七才身上願(水口分教会理事)明治三十四年十一月十七日
岡川治右衞門四男一治一才身上願(甲賀分教会副会長伜)明治三十四年一月二十九日
中和分教会長伜三男植田一史二十五才と大原伊平次女いと十九才縁談御許し願明治三十四年三月二十六日
畑林為七妻やす四十九才身上御願明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
一昨日詰所にて梅谷四郎兵衞、諸井国三郎の両名教校の普請の事に付大工奥村忠七と話し合いの際、本席火鉢の所へ御越しになり、神様御入り込みの上、『違う/\しっかりせい/\、明日尋ね出るがよい』との御言葉に付願明治三十四年六月二十五日
奈良支教会森川宇次郎妻ますゑ身上願明治三十四年九月十八日
土佐卯之助前より分教会へ行くと立て合うて、妻まさ身上障りに付、身上から事情願明治三十四年十一月四日
諸井国三郎先々月より咳出で身上障り、又小人二人一寸障りに付願明治三十四年一月二十八日
西専助妻いそ身上願明治三十四年六月三十日
西川権六四十六才身上願(山名部内下田支教会理事)明治三十四年十一月二十九日
岡田藤五郎長男辰蔵三十四才眼病に付願明治三十四年二月四日
本席先日より御身上御障りに付、御願の処申し上げば、休みになりてからと仰せ下され御伺致さざれ共、一昨晩より御障りに付如何の処でありますや本日願明治三十四年三月二十七日
本部東の方の蔵の北続きに神実を納める蔵建てる願(三間に二間半のもの)明治三十四年四月二十二日
岡本善六夫婦及び栄太郎身上願明治三十四年六月二十九日
永尾よしゑ八木部内飯倉出張所出張願及び身上の願明治三十四年九月二十一日
大県分教会長増井幾太郎妻みつえ身上願明治三十四年十一月八日
こたまの身上戸籍に付今後一身いかように致さして貰いしものや、最もおさしづの手続もあれば一同心得まで願明治三十四年一月二十九日
吉田楢次郎長女ならゑ次女こう三女おとゑ身上願(旭日支教会役員)明治三十四年七月一日
石垣作太郎身上願明治三十四年十二月二十一日
岡本久太郎長女ナヲ二十六才山崎直吉弟熊楠二十九才縁談事情願(靱支教会長岡本、日方支教会会計山崎)明治三十四年二月八日
清水与之助養女みつ二十四才山沢豊吉弟由松三十才縁談事情願明治三十四年三月二十七日
増井幾太郎小人仙次耳の処願明治三十四年四月二十五日
本部木小屋七間に八間伏せ込み柱、屋根は杉皮葺に願明治三十四年七月一日
上田民蔵家族共本部へ引き越し、心得まで願明治三十四年九月二十六日
東部内青葉出張所事情願(同担任菊地猪四郎不都合有之為に分教会長上原出張の上段々諭せども聞き入れ無きに付、その親教会谿郷支教会長松本を事務取扱人に兼務させ、仙台市本材木町百一番地へ移転の事御許し願)明治三十四年十一月十一日
内務省属官、兵庫県下北に在る教会所へ調査のため出張相成るにより部下不都合無之ように、山中彦七出張致すべき旨教長より御命令により本日出張致し度き儀願明治三十四年一月三十一日
山中彦七長女いわ身上願明治三十四年七月十七日
木戸上庄右衞門身上願明治三十四年二月八日
水口分教会長藤橋光治良長男長右衞門十四才身上願明治三十四年三月二十九日
本部十二下り再版する願明治三十四年四月二十九日
泉田おとら身上の願明治三十四年七月三日
畑林やす四十九才目の障り願明治三十四年九月二十七日
過日より永尾よしゑ身上障りに付願明治三十四年十一月十三日
本部西隣足達秀二郎宅地四百二十四坪相談の上買い入れする事御許しの願明治三十四年二月十一日
峰畑為吉四十一才身上願明治三十四年七月三十一日
吉本松太郎養長男英治八才身上願明治三十四年二月十日
過日のおさしづより相談の上、本席より常に理に適う適わんの理の御話を聞かせ下さる節は、早速それこれ相運ぶ事に決定致しましたが、これまでの処御詫び申し上げ願明治三十四年三月二十九日
兵神部内神山支教会本年二月七日に地方庁より名称取り消しに相成りしに付、治め方心得のため願明治三十四年五月十五日
本席御身上に付願明治三十四年七月十五日
諸井国三郎春以来左の腕障り追々重るに付願明治三十四年九月二十八日
昨日永尾よしゑ身上のおさしづより、これからおつとめの処、真柱夫人より毎月二十五日の日に一二三の決まりかたして貰いまして出て貰います願明治三十四年十一月十三日
松村隆一郎、中谷よし縁談整い御許し願明治三十四年三月五日
上原佐助三女ふさ十七才こちらへ引き寄せ度く願明治三十四年八月十日(陰暦六月二十六日)
鴻田忠三郎七十四才身上願明治三十四年二月十日
こたまの事に付、戸籍を引く事本部員会議してその旨おさしづの上、如何致しましたら宜しう御座りますや願明治三十四年三月二十九日(陰暦二月十日)
増野正兵衞、道興、おとも風邪熱強く、又春野喜市風熱、たか血を吐き障りに付願明治三十四年五月十七日
本席明日より水口分教会へ御出張下さる願明治三十四年七月十五日
兵神分教会長富田伝次郎長男米太郎三十四才黄疸身上願明治三十四年九月二十八日
梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願