明治三十四年四月十五日
川勘五郎三十三才願(島ケ原分教会金亀支教会長)明治三十四年九月二十三日
政田甚五郎五十二才身上願明治三十四年三月七日
永尾よしゑ身上のぼせに付願明治三十四年四月二日
敷島分教会長山田伊八郎長男倉之助十九才に山中彦七次女光栄十九才を貰い受ける縁談事情願明治三十四年五月二十六日
前おさしづより本部集会又教長へ運び致し、その趣を本席へ申し上げて御詫び致し居るところ、俄かに御話ありし角々(平野楢蔵、桝井伊三郎、増野正兵衞三名運び)明治三十四年八月十三日(陰暦六月二十九日)
教校本館と講堂二棟新築する願明治三十四年十月十二日
諸井ろく名古屋へ奉公に出し度き儀願明治三十四年十二月十一日
山名部内清国厦門へ高室清助、山下万吉両人出張布教致し度く願明治三十四年四月十九日
田代卯吉妻きく二十八才身上願(水口分教会理事養嗣子妻)明治三十四年九月二十五日
上田与三郎四女こいと十七才身上願(奈良支教会役員)明治三十四年三月九日
梅谷分教会部内西沢万吉より本部基本財産として山林献納願明治三十四年四月三日(陰暦二月十五日)
増野正兵衞及び春野たか身上の願明治三十四年五月二十六日 午後六時五分
一昨日二十四日よりの事情に付ては、平野楢蔵、増野正兵衞、桝井伊三郎の三名教長へ運び、教長二十七日より御運びの席に御出まし下さる事、本席へ申し上げし処、本席より御守りは如何にと仰せられ直ぐ教祖御入り込みにて大声にて明治三十四年八月十四日
井筒とよ手痛み、息女たねのぼせ、同ふみ歯痛み三人共身上に付願明治三十四年十月十三日
教校教室二棟出来上りに付、後へ事務室二十間に五間物を建築致し度く願明治三十四年十二月二十一日
教校開校式陽暦一月七日に致し度く、それには県知事始め高等官及び署長招待致し度き儀御許し願明治三十四年四月二十日
浅井勝太郎四十七才身上願明治三十四年九月二十七日
石井治太郎妻志げ四十七才身上願(越後村松出張所担任)明治三十四年三月十一日
宮森与三郎右の眼の障りに付願明治三十四年四月十一日
宮森与三郎妻ヒサ眼の障りに付願明治三十四年五月二十八日
東分教会より本席を水戸地方へ招待に付願明治三十四年八月十五日
本席遠州浜名湖へ御遊びに御出で下さる事を、山名分教会より招待に付願明治三十四年十月十四日
前日永尾よしゑの身上のおさしづに古き事情という処なり、中の事情という処もありましたが、その古き事情と仰せられますは如何の処でありますや願明治三十四年一月十二日
山田亀吉子供いちの、きみゑ身上願明治三十四年四月二十四日
都築竹治四十六才同妻トラ四十三才願明治三十四年十月十七日
今村五平六十三才身上願(水口分教会役員)明治三十四年一月十二日
撫養分教会長土佐敬誠出直しに付、後任選定まで事務代理を土佐卯之助勤め度く願明治三十四年三月十五日
本部東の蔵続きの北へ三間に二間半の蔵新築願明治三十四年四月十二日
高井猶吉、山沢為造東分教会へ本月陰暦二十七日より出張する願明治三十四年六月十四日
六月一日より本席御身障りに付七日間御休みに相成る、よって種々相談の結果、本部員一同神様へ御願い申し上げしには、御身上速やか御成り下さればおさしづを頂き、おさしづによってどのような事も運びますと御願いに付、如何の事でありますや願明治三十四年八月十七日
前川たけ六十四才身上願明治三十四年十月十五日
芦津分教会長井筒五三郎身上願明治三十四年一月十三日
古川太十郎三十一才身上願(防府支教会長)明治三十四年四月二十八日
上田猛楠四十七才身上願明治三十四年十月二十三日
上次田寅吉妻クマヱ四十四才身上願(桜井分教会部内五条支教会所)