明治三十四年三月二十九日
兵神部内神山支教会本年二月七日に地方庁より名称取り消しに相成りしに付、治め方心得のため願
さあ/\尋ねる事情/\、どうも事情にて心得ん事情であろ。いかな事であろと思う処、何が故にこういう事であろ思う理、所という事情という、先々という、どうもなあこうもなあ思う事情から一つ出た。まあ何も一時すうきり取り消した事というは、何もどうもならんという。心という、理という、この理皆どうぞ理に繋いで置けば、何も長い事情やない/\。一つ道がある。明らか道が出る事というは、成り立った事情、どうも変じた事情であると思う。そら何も思うやない。他に事情、いずみ切ったる処もあれば、又盛んな所もある。いずみ切ったる盛んにと言うて居てはならん。尚々心持つが道。そこで、取り消したる処、後の事情の理さい心に結んで置けば、長い事情やない。これ、しいかり心に治め。