明治三十四年五月五日
吉岡忠左衞門六十五才身上願(近愛支教会長父)

さあ/\尋ねる事情/\、なあ、さあ身上一つ心得んと、事情いかなる事であろう。身上に不足なりて、どうもならんから尋ねる。尋ぬるから、順序事情諭し置こう。身上何でこんな事であろうという。道という理という、一代と思えば頼り無いなれども、一つ道の理は末代の理である。よう聞き分け。所々何も分からず、知らず処から尽した理は、消えやせん。なれど、身上が不足なりて、頼り無いものなあ、身上が不足なりて、どうこう、何でなるとは更に思うな。これまでの道の上に、何か順序尽した処、神が受け取りあるで。さあ/\よくこれを楽しめ。又めん/\は何も思う事無い。又どうやこうや無い程に。尽した理は、将来の理末代の理である。これ一つ心に与えて、満足を与えてくれ/\。

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