明治二十七年六月二十七日(陰暦五月二十四日)
山沢ひさ身上熱ありのぼせに付願明治二十七年七月十二日
井筒梅治郎笠岡支教会副会長西山平四郎辞職願い出でに付、会長として治め方の心得まで願明治二十七年八月十六日(陰暦七月十六日)
日清事件人夫事情に付願(日清事件につき当本部より人夫五百人寄付の次第陸軍大臣へ願い出の処、当日義勇兵出願者に対して差し止めの大詔煥発相成りし故、福家秘書官の意見を諒し、名古屋師団へ出願の処、普通人夫としてより採用これ無きに付、一先ず帰本して本部員会議を開き、義勇人夫として採用これ無き時は一先ず見合わし、金円にて一万円献納の願)明治二十七年九月一日(陰暦八月二日)
桝井伊三郎小人孝四郎を高知分教会長島村菊太郎よりくれとの事情、喜多治郎吉より願明治二十七年九月二十六日
日本橋会長中台勘蔵出直しに付、教長御上京願明治二十七年十月二十七日
増野正兵衞身上の願明治二十七年十一月三十日 午前一時
刻限御話(政甚事情お話の前余程お苦しみあり)明治二十七年十二月二十三日
郡山部内榊原出張所は従前津支教会付属の処、中和支教会の直轄に願明治二十七年四月五日
中西荘六身上願明治二十七年六月十一日
礒田こめ十八才身上願明治二十七年八月三日
山瀬文次郎郡山へ立ち戻り、飯原久吉再び南都へ入る願明治二十七年十月二十五日
柏原友吉身上願明治二十七年一月二十二日 午後一時二十分
本席御身上願明治二十七年二月十四日 夜
増野正兵衞身上歯の痛みに付願明治二十七年三月十一日
橋本清、平野楢蔵両名関東地方の講社巡廻致し度く願明治二十七年五月二日
南海分教会の火災見舞として本部及び教長本席詰合より有志の儀御願(教長百円、本席百円、本部員一同より百五十円、分教会より八百六十四円)明治二十七年五月二十三日
本席一点に付四点の理由の事願明治二十七年六月八日
東分教会敷地を本部長御名前に切り替える願明治二十七年六月二十八日
村田幸助身上願明治二十七年七月十二日
増野正兵衞今朝起きて頭重く頭痛に付願明治二十七年八月十六日
この度日清事件に付徳島県庁より日和佐支教会及び同地方への達しには、狼火(のろし)打ち上げたれば片付けをして遠方へ逃れよとの事でありますが、その時如何致しましたものや願明治二十七年九月五日
清水与之助の事件に付願明治二十七年九月二十六日
日本橋中台出直しに付、本部より増野正兵衞、桝井伊三郎両名上京願明治二十七年十月二十七日
井筒梅治郎妻とよ身上大熱に付願明治二十七年十一月三十日
上田嘉治郎身上迫るに付、はた/\心得のため願明治二十七年十二月二十三日
梅谷梅次郎、藤沢南岳塾へ入塾願明治二十七年四月八日
安村甚松四十才身上願(中背支教会役員)明治二十七年六月十二日
杉本定蔵身上願明治二十七年八月三日
大江勝之助身上願明治二十七年十一月四日
堀内与蔵伜菊松願明治二十七年一月二十二日 午後十二時三十分
刻限御話明治二十七年二月十七日
東分教会部下日本橋支教会を分教会に引き直し度きに付願明治二十七年三月十六日
高知部内高岡支教会高岡郡にて銅山事情に付願明治二十七年五月二日
高安分教会所敷地並びに向側の敷地同教会所へ寄付する儀願明治二十七年五月二十三日
日和佐支教会長西川実三郎眼の障りに付願明治二十七年六月八日
東分教会員加藤新兵衞副長にする事情願明治二十七年六月二十九日 朝
神道本局負債二万八千円今回悉皆弁償に付、当会より三千円出金の事願明治二十七年七月十六日
桝井伊三郎母ゆき身上願明治二十七年八月十七日
在韓兵士健康祈祷毎月一回ずつ行う事願明治二十七年九月六日
諸井ろく身上願明治二十七年九月二十六日
東京日本橋分教会長中台勘蔵出直しに付、分教会長五名総代として葬祭に出会のため上京の願明治二十七年十月二十八日
本席亭(ちん)の処御許しの願明治二十七年十二月一日 午前十一時
飯降政甚事情に付本人御詫び願明治二十七年十二月二十七日
増田甚七天野の娘竹との縁談事情願明治二十七年四月二十八日
前川喜三郎身上願明治二十七年六月十四日
松永好松長男吉之助十四才願明治二十七年八月十三日
山瀬トヨ四十七才身上願明治二十七年十一月二十二日
山形徳松縁談願明治二十七年一月二十五日
本席身上御障りに付伺いのおさしづより一同談議の上左の点伺明治二十七年二月二十一日
清水与之助身上の願