明治三十五年一月九日
西部内三軒家出張所事情のため一時西支教会へ仮に引き取り致し度く願明治三十五年五月三十一日
上田民蔵小人なをえの願明治三十五年九月十八日
増井幾太郎娘マスヘ身上願明治三十五年九月十二日
前田銀次郎四十才瀧沢しま三十一才縁談願(水口分教会部内嶽東支教会理事前田)明治三十五年二月十二日(陰暦正月五日)
本席御身上前日より御障りに付、かんろだいに一同御願い申し上げて御座いますが、どういう処でありますや願明治三十五年六月六日
永尾よしゑ、たつゑ身上の願明治三十五年十月七日
諸井政一身上九月二十九日一時迫り切り又それより日々と送れるに付分教会役員一同揃うて願明治三十五年九月十五日
藤江半之丞六十七才身上願(河原町部内大垣支教会長)明治三十五年二月十七日
山名部内清国厦門にて厦門教会設置願(担任高室清助)明治三十五年六月十七日
山瀬文次郎五十八才身上願明治三十五年十月十一日
中和分教会担任植田平一郎出直しに付、伜楢松に変更願明治三十五年九月二十一日
森田友平五十一才身上願(南紀部内神原布教所担任)明治三十五年二月十七日
河原町部内湖東支教会を分教会に引き直し本部直轄の願明治三十五年七月十三日
御供の件に付昨日東京へ出張の松村吉太郎より申し越されしに、内務省の局長の御話には金米糖は絶対に廃止せよとの御話である。若し出来ざる時は製造の方法に対し、腐敗せざるよう出来ざるものか、と言うに付、心得までに願明治三十五年十月十三日
湖東分教会長佐治登喜治良娘つたゑ二十一才身上願明治三十五年二月十八日
増井幾太郎妻みつえ身上願明治三十五年七月十五日
郡山村田忠三郎三男儀郎身上願明治三十五年十一月十九日
東分教会上原佐助家族共三島事務所へ引き越し度く、就ては分教会の方は担任そのまゝにして役員代わりて泊まり万不都合無きよう勤める事に決定致し役員だけ揃うて共に御許し願明治三十五年二月二十四日
先祖中山善兵衞五十年祭陰暦本月二十七日に北の上段の間にて勤める事願明治三十五年七月二十日
過日のおさしづより一人も残らず願い出よ、との事に付願明治三十五年十一月二十一日
教会事情願済みし後に御諭明治三十五年三月十四日 午前十一時過ぎ
刻限御話明治三十五年七月二十三日
御供金米糖を一般へ出す事を、本部に於て紙に包んで印打って出す事願明治三十五年十二月三日
永尾よしゑ八木支教会部内飯倉出張所整理出張の願明治三十五年三月二十一日
本局管長逝去に付葬祭のため、本部長上京御許し下され度く願明治三十五年七月二十三日
松村ノブ身上願明治三十五年十二月十七日
教会事情願後へ刻限明治三十五年三月二十三日
河原町部内氷上支教会付属の秋広出張所を、大垣部下六郷出張所の付属に変更願明治三十五年八月一日
山中卯蔵本部青年に加えて頂く願明治三十五年十二月二十日
桝井伊三郎長男安松二十六才と日本橋分教会加藤嘉兵衞次女きよ二十五才と縁談に付願明治三十五年四月十二日
敷島分教会理事加見兵四郎新築家へ家族共陰暦本月十二日引き移り願明治三十五年八月四日
上田ナライト昨夜より腹痛に付願明治三十五年二月二十五日
前田銀次郎妻きよ三十九才身上願明治三十五年四月十六日
茨木基敬長女らく二十四才水野家へ養女にやり度く願明治三十五年八月十日
十教区取締員の事情に就ては先々へ出張の御許し願明治三十五年三月二十四日
森田清助妻むら四十六才身上願(東愛部内)明治三十五年四月二十一日
山瀬文次郎五十八才身上願明治三十五年八月三十一日
河原町分教会移転及び改称願明治三十五年五月十日
山瀬文次郎次男好松三十才森清次郎五女きよ二十才結婚願(郡山分教会役員伜)明治三十五年五月二日
甲賀分教会長山田太右衞門長女こよね十九才と同分教会役員山崎房造弟勘治郎二十四才と結婚願明治三十五年九月二日
植田平一郎身上願明治三十五年六月九日
藤井宇三郎妻千代二十才身上願(笠岡支教会会計妻)明治三十五年五月十一日
諸井政一復籍の願明治三十五年九月六日
永尾よしゑ身上願明治三十五年六月十二日
小梶与兵衞四十八才身上願(中野支教会長)明治三十五年五月十六日
本部より板倉槌三郎岐阜県青森県地方及びその外それ/\へ、喜多治郎吉山口県鹿児島県地方へ信徒視察その都合により又外それ/\へ派出を、教長より命ぜられ行く事願明治三十五年九月十二日
敷島分教会教堂の東の方へ掘り抜き井戸一箇所願明治三十五年六月十四日
山田政太郎三十一才身上願(兵庫出張所役員)明治三十五年五月十八日
山中彦七、桝井伊三郎島ケ原分教会治め方出張願明治三十五年九月十七日
堀内与蔵五十四才身上願