明治三十五年七月十三日
御供の件に付昨日東京へ出張の松村吉太郎より申し越されしに、内務省の局長の御話には金米糖は絶対に廃止せよとの御話である。若し出来ざる時は製造の方法に対し、腐敗せざるよう出来ざるものか、と言うに付、心得までに願

さあ/\尋ねる/\。尋ねる事というものは、さあ/\皆々これまで何も彼も知って居るやろ。何も知らん事して居るやない/\。どうもならん/\で暮れて了たる。なれど、道という道は、付け掛けた道やによって、何でも彼でも、幾年掛かっても付けにゃならん。ならん事から、これまでどういう事もこうしたら一時遁れるかと、いろ/\品変えて通りたる/\。世界から道理を付けて世界中この道から、一つ信者から一つ敵の中と、前々伝えたる/\。容易で日が経つものやない。どうでもこうでも陰から、天より理があるから通れる。そこでこうすればあの道どうなる。どうすればこうなると、こゝでこう言うて居れば通れる。この道というものは、幾年経っても付けにゃならん。成らん中から、天然という道あちらに一寸、こちらに一寸、道の固まり出け掛けたる。一時にどうしても出け難くい。そこ手遅れと言う。成っても成らいでも通らにゃならん道やで。一列思やんせにゃならん、と、早い理に諭したる。一寸通り難くい。一時こうと言うた処が、怖わいと言えば、負うて歩かにゃならん。負うて行けば負われる。負うと負われると違うで。負う力持ってくれにゃならん。これだけ伝えたいから、多くの人寄せにゃ書取というものは、その場切りのものである。ほんの当分のもの。これ真実の心定める事なら、世界に於て多くの人通す。通す理立つというは、天然自然と諭したる。又日々の処、さづけ一条書下げある。何を持って来い彼を持って来い、と言うてあるまい。親大切、家業第一、と諭したる。この理から聞き分けにゃならん。さあ/\たゞ一筆は何処まで行ても立ち切る。親孝心、又家業第一。これ何処へ行ても難は無い。さあどう今一時用いる。御供というは、成るだけ/\踏ん張ってみよ/\。又ならん/\にゃならん理がある。心に心配するようでは、道とは言えんで。何処まで道を聞いて来たか。これ不思議々々々というは道である。人間は分からん。始め掛けたる道、一寸立ち掛けたら、何も案じる事要らん。この道の掛かりは、先ず一代という、どうでもこうでも不自由難儀の道通らにゃならん。不自由の道通るは天然自然の道という。神の望む処である。
全国に十教区を置く事の願
さあ/\尋ねる処/\、そらどうとも言わん。まあそら修理肥の内である。修理肥は何処までもせにゃならん。蒔き流しでは、何も取れるものやない。修理肥というはせにゃならん。又人という、十名というはそら願通り許し置こう。中に又余程の理改めてせにゃならん。銘々勝手という理あるで。これを十分取り調べてくれにゃならん。さあ/\尋ねる処/\、そらどうとも言わん。まあそら修理肥の内である。修理肥は何処までもせにゃならん。蒔き流しでは、何も取れるものやない。修理肥というはせにゃならん。又人という、十名というはそら願通り許し置こう。中に又余程の理改めてせにゃならん。銘々勝手という理あるで。これを十分取り調べてくれにゃならん。
先日よしゑ身上から一同揃うて尋ね出よという事でありましたが、本日平野楢蔵、松村吉太郎留守でありますから如何でありましょうと申し上げ
さあ/\なあ、前々には尋ねる事情をこれ日を遅れたる。皆んな打ち揃うて諭せんならんから、皆分かりある。あちらこちら何よ諭した処が、さしづ筆に取って話は、とんとどうもならん。心だけという、心に働き、心にどれだけ言い聞かした処が、皆んな心から苦しみ通る理は、天然自然の道という。どうでもこうでも、艱難不自由通りてくれるは、一代の道の台と言う。さあ/\なあ、前々には尋ねる事情をこれ日を遅れたる。皆んな打ち揃うて諭せんならんから、皆分かりある。あちらこちら何よ諭した処が、さしづ筆に取って話は、とんとどうもならん。心だけという、心に働き、心にどれだけ言い聞かした処が、皆んな心から苦しみ通る理は、天然自然の道という。どうでもこうでも、艱難不自由通りてくれるは、一代の道の台と言う。
皆々揃うた上もう一度御尋ねに出ましたら宜しう御座りますか、と申し上げ
さあ/\もう一度/\、しっかりと/\。本部という、一人も不足の無いようにして、万事の処尋ねるようにするがよい。さあ/\もう一度/\、しっかりと/\。本部という、一人も不足の無いようにして、万事の処尋ねるようにするがよい。

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