明治三十二年十二月十四日
深山に付、駒谷年雄縁談事情心得まで願明治三十二年一月十六日
増井丑松小人貰う事情願明治三十二年二月十八日
寺田半兵衞家内まつ五十五才身上願明治三十二年三月二十二日
桝井政治郎目悩み且つ網島分教会へ出張致す事情も有之に付願明治三十二年四月二十一日
城島部内土佐出張所にて大字佐田村講社へ御下付の教祖赤衣右出張所へ御祀り致し度く願明治三十二年五月三十日 朝
五月二十日本局大祭に付教長御上京に相成り大祭仕舞いし後、管長稲葉正善及び野田幹事より教長に向い天理教会の従来本局のため尽力の廉により、目下の時機として一派独立の恩命ありしに付、帰部の上教長心得として事情詳しく申し上げ御願(上京随行員清水与之助、永尾楢次郎)明治三十二年六月二十七日
昨日増野正兵衞身上のおさしづより一同協議の上願明治三十二年八月十三日
北分教会長茨木基敬身上願明治三十二年九月七日(陰暦八月三日)
山沢ひさ身上おこり障り願明治三十二年十月五日 夜
永尾昼のおさしづに付押して願(本部員一同会議の上おさしづに付願、居合わせし者、辻忠作、鴻田忠三郎、桝井伊三郎、増野正兵衞、梅谷四郎兵衞、山中彦七、平野楢蔵、山沢為造、宮森与三郎、清水与之助、喜多治郎吉、松田音治郎)明治三十二年十月三十日
上原佐助咳にて苦しみに付願明治三十二年十一月二十七日
桝井伊三郎小児孝四郎一時引き付けに付願明治三十二年十二月十二日
島ケ原分教会長万田万吉身上願明治三十二年二月二十四日
植谷浅次郎妹すゑ二十五才身上願明治三十二年五月二十五日
橋詰善平並びに妻こん小人共に身上願明治三十二年九月二日
林熊太郎三女たかゑ六才身上願明治三十二年二月三日
岩谷源治四十六才身上願明治三十二年十二月十九日
杉本きみ十八才身上願(北山出張所部内)明治三十二年一月十七日
山名分教会役員平出団次郎、高室清助両名台湾布教の事務を取り調べの上、清国厦門へ布教致し度く願明治三十二年二月十八日 夜
土佐卯之助身上障りより以前のさしづを申し上げ願明治三十二年三月二十三日
今村ヱイ母いし、娘とみ、英太郎の三人目の事情願明治三十二年四月二十六日
本部の蔵の続き物入れ建て継ぐ事願明治三十二年五月三十一日
船場分教会長梅谷四郎兵衞、会長を副会長梅次郎に変更願明治三十二年七月五日
芦津分教会役員河合保太郎家族共分教会へ引き越しさせたものでありますや井筒心得まで願明治三十二年八月十三日
山田作治郎小人重道身上願明治三十二年九月八日
日本橋分教会長中台勘蔵辞任に付き、中台庄之助を以て事務取扱いと定め御許し願明治三十二年十月八日
深谷源次郎前身上よりおさしづ頂きし処、それには七分三分という事もあり、それ/\談示の上本部へ七分勤め分教会へは三分勤めて、事務の処は副会長深谷徳次郎なり役員へ皆委せる事にして本部へ勤める事に相成り、それに付分教会の一同心得まで願明治三十二年十月三十一日
教祖の御殿少し破損相成しに付、新たに仕替える事願明治三十二年十一月二十七日
寺田半兵衞六十七才身上願明治三十二年十二月十三日
平野トラ身上願明治三十二年三月十八日
新井万治郎三十二才身上願明治三十二年五月二十五日
松井丈吉四十七才身上障り願(笠岡部内久松役員)明治三十二年九月二日
春田英一三十六才身上障り願(吉野川役員)明治三十二年二月四日
西野トワ七十二才目の願明治三十二年十二月二十一日
関口つる身上願明治三十二年一月十八日
桝井政治郎及び桝井安太郎長崎へ布教に出て身上より事情願明治三十二年二月二十一日(陰暦正月十二日)夜
飯降政甚事情に付願(清水与之助、梅谷四郎兵衞、平野楢蔵、桝井伊三郎の四名だん/\事情運び、大工、農行、商業の三点の内、本人大工と申せし結局を教長へ申し上げ、その上本席へ御返事相成りし処、これで道が立つ、十分や。大工、農業、商法、三点の内本人大工修業すると申せしはもう満足する。この定まりた通り、たとえ三十日でも守りてくれたら、明日どうなっても構わんと申され、喜び涙にむせび下されし時、御話)明治三十二年三月二十五日
深谷源次郎目の障り願明治三十二年四月二十六日
石西三五郎の宅地話付けば買い求めても宜しきや願明治三十二年五月三十一日
高安部内大鳥支教会長抽冬鶴松家族共分教会へ引き移りの儀御許し願(先のおさしづは願通り理は許すが、人を連れて出るようとさしづなり)明治三十二年七月七日
本局へ交渉のため上京中の清水与之助、松村吉太郎の両名よりだん/\運びの末申し越されしに付教長より本部員に相談の上御願明治三十二年八月十七日
日本橋分教会長中台勘蔵の件に付増野正兵衞出張致し、その事情前集会の上教長へ申し上げ神様申し上げ如何致しまして宜しう御座りますや願明治三十二年九月十一日
撫養分教会岩朝、天満、吉成、田村家族分教会へ引き移り願(尚教会便所へ庇掛け、井戸掘り換えの願)明治三十二年十月八日
河原町部内大原支教会所役員室の内何ぼか高木という人へ当分貸す事情申し上げ願明治三十二年十月三十一日
永尾よしゑ八木部内飯倉布教所へ事情運び方有之に付出張の願明治三十二年十一月三十日
清水与之助身上願(熱、咳、動悸に付)明治三十二年十二月十四日
山沢為造小人マチ七八日以前より少々風邪の様に有之又為次三四日以前より同様にて今朝三時頃余程悪しく相成りしに付願明治三十二年三月二十二日
谷岡卯二郎身上願明治三十二年五月二十七日
清水虎次郎長男英次郎七才本月八日より身上の障り願明治三十二年九月三日
撫養部内坂出出張所新築願