明治三十二年四月五日
兵神分教会長清水与之助本部へ引き越し後、副会長富田伝次郎を以て役員一統協議御許しの願明治三十二年四月二十六日
西浦弥平五十六才身上願明治三十二年五月三十一日
前増野のおさしづよりだん/\本部役員協議の上城島分教会の事であろうとの事に付願(今分教会にては未だ会長定まらんに付、後任とすべき人はたゞ今にて三名あります。山田伊八郎は古き人なり、又加見兵四郎は講社多分あり余程道のため尽力のせる人なり、又峰畑為吉は副会長の名もあり教会に余程功ある人なり。目下取定めに心配致し居ります。この処願)明治三十二年七月十二日
中台おちよ流産後悪しく願明治三十二年八月十七日
上田民蔵小人なをえ身上願明治三十二年九月十五日
本席昨日夕方より俄かに御障りあり、先日と同じ腰痛みの御障りに付願明治三十二年十月十一日
土佐卯之助身上の願明治三十二年十一月三日
昨夜の刻限のおさしづに付、本部員一同打ち揃いの上願明治三十二年十二月六日
桝井政治郎及び小児ナヲヱ二人共身上願明治三十二年十二月二十二日
平野トラ本月十五日出直しに付、後々の治め方心得まで願明治三十二年四月一日
伊東勇吉三十七才身上願明治三十二年六月一日
教祖赤衣奉祀に付願(宇陀郡榛原町字井足高田清平より、これまで教祖御存命中頂戴せし赤衣を、この度東和支教会教祖の御社へ祀り替えの事情願)明治三十二年九月八日
森下友蔵伜両名出直し事情に付伺(兵神部内神戸出張所)明治三十二年十月二十一日
関口定松並びに妻つる身上、尚小人の処申し上げ願

