明治二十四年六月六日
越後行の願明治二十四年六月二十四日
芦津分教会部内西宮真明講教祖五年祭来月四日御許し願明治二十四年七月六日
村田かじ身上願明治二十四年七月二十一日
増野正兵衞鼻先の出来ものに付伺明治二十四年九月二十四日
清水与之助播州へ巡り帰会、一日を過ぎて二十一日朝五時頃腹下りの願明治二十四年十月四日
城島分教会開筵式に付本席出張に付、辻忠作、桝井伊三郎、鴻田忠三郎随行の伺明治二十四年十月十七日
本部の大裏の南門の東の方へ厠建てるの願明治二十四年十月三十一日 夜
過日二十八日の朝大地震に付、名古屋愛知支教会へ見舞のため宮森与三郎、永尾楢次郎両名出張の願明治二十四年十一月七日 朝
清水与之助御勤済まし、御簾にて目を引き掛け痛むに付願明治二十四年十一月十五日(陰暦十月十四日)
前川菊太郎身上の願明治二十四年十一月二十二日
陰暦二十六日本部大祭に付講社参詣人へ御供やる願明治二十四年十二月二日(陰暦十一月二日)
便所新築御許しの願明治二十四年十二月十八日
大県増井幾太郎外家内小人三人身上障り願明治二十四年十二月三十日
梅谷分教会明治二十五年陽暦一月四日節会致し度くに付願明治二十四年一月
北嶋友五郎二十八才身上願(阿波国)明治二十四年三月二十一日
宇野善助小人身上願明治二十四年五月十四日
篠田徳三郎三十七才身上願(山城講元)明治二十四年七月一日
清水小人ふじゑ身上願明治二十四年八月十三日
松村善兵衞小人の願明治二十四年九月十六日
東保太郎母ヨシ六十二才右の手の事情に付願明治二十四年十月七日
深谷ハナ身上願明治二十四年十月二十九日
麻植房次郎三十九才身上事情願明治二十四年十一月十九日
梅本善七娘まつ縁談事情願明治二十四年十二月二十八日
西豊次郎妻おはん身上願明治二十五年一月十一日
誠心講総集談所を添上郡治道村大字白土に於て御許し願明治二十五年一月二十一日
高安分教会部内光道講第三号大県村に於て支教会所設置願い出せしも分教会と接近に付如何致すべきや願明治二十五年二月一日(陰暦正月三日)夜
永尾楢次郎身上大腹痛に付願明治二十五年二月十一日
飯降さと身上の願明治二十五年二月十九日
教祖御居間へ座蒲団火鉢出し置きまして宜しきや願明治二十五年二月二十七日
教祖御墓地用豊田山買い入れの願明治二十五年三月三日
増野いと身上歯の障りに付伺明治二十四年七月二十八日
板倉槌三郎のおさしづ明治二十四年八月六日
郡山分教会部内山陰支教会設置願明治二十四年八月三十日
兵神分教会部内三木支教会長藤村喜代松世上の事情も有之、信徒の事情も有之に付、やむ得ず富田伝次郎へ当分委せ度くの願明治二十四年一月十日
神戸春野利三郎妻ウノ身上大層なるは、増野正兵衞及びいと身上を春野の内々の者案じるに付、身に掛かりしものなるや伺明治二十四年一月二十五日
飾東支教会開講式の際、紺谷久平身上に付願明治二十四年二月八日(陰暦十二月晦日)夜十時半
教祖五年祭御願の後にて引き続きおさしづ明治二十四年二月二十日(陰暦正月十二日)
教祖五年祭に付、中山会長斎主となり今夜遷座の儀伺明治二十四年三月三日
増野正兵衞新宅へ引き移る事の御許し願明治二十四年三月十八日
桝井伊三郎板囲いの願明治二十四年三月二十八日
清水与之助身上の願明治二十四年四月十五日
清水与之助身上願明治二十四年四月二十三日
増井幾太郎身上事情願明治二十四年五月五日
大阪真明講分教会出願事情に付出張願明治二十四年五月十五日 午後十一時二十五分
刻限明治二十四年五月二十五日
鴻田忠三郎新潟講社に付心得の伺明治二十四年六月八日
越後行前のおさしづに付鴻田忠三郎行って貰いまして宜しきや願明治二十四年六月二十六日
芦津分教会仮開講式に付、本部役員出張の儀願明治二十四年七月七日
芦津分教会御勤九つの鳴物衣物紋付の願明治二十四年七月二十三日 夜八時
本席御身上御障りに付御願