明治三十二年一月八日
富田伝次郎家内目の障り孫しげ四才肺炎身上願明治三十二年二月四日
金米糖の御供の事に付、世上にいろ/\風説注意の有之に付如何、と心得までに願明治三十二年三月二日
土佐まさ身上願明治三十二年四月十三日
永尾よしゑ身上願明治三十二年五月十四日
梅谷四郎兵衞身上おさしづよりすっきり委せて了えとの仰せは、会長の名義も副会長梅次郎に委して宜しきや願明治三十二年六月十九日
本席三四日前頭痛にて痰つかえ御休みに付御願明治三十二年八月八日
深谷源次郎身上願明治三十二年九月一日
日本橋分教会長中台勘蔵辞職事情に付、永尾楢次郎、喜多治郎吉、都合により増野正兵衞罷り越し御許し願明治三十二年十月一日
永尾楢次郎八時頃より腹痛に付願明治三十二年十月二十四日
村田幸助普請御許し頂きしに付明日手斧始め致し度くも、村田かじ身上少々障りあり尚又桝井安松も少々障りあるに付心得まで願明治三十二年十一月二十二日
城法支教会長山本藤四郎妻こま身上願明治三十二年十二月十一日
諸井国三郎年内も余日なく一度分教会へ整理のため出向く事の願明治三十二年十二月二十九日 夜
高安分教会長松村吉太郎母さく身上よりおさしづあり、それより運び方高安分教会部内大県支教会を分離の願及び双方示談も調い大県より金円を高安の神前に供えることまで申し上げて願明治三十二年四月二十九日
中林寅吉妻たね長女やす身上願(大原)明治三十二年七月十二日 九時
下和田留吉三十三才身上願明治三十二年一月十八日
加見兵四郎伜秀二郎以前身上のおさしづより、押して願明治三十二年十一月二十六日
多菊善平妻つね二十四才身上願明治三十二年一月十四日
本部丑寅の方城作次の地所買い入れに付、運んでも宜しく御座りますや願明治三十二年二月八日
松村ノブ身上願明治三十二年三月五日 朝
本席一年程以前より左の耳聞こえ難くいと仰せられしに付願明治三十二年四月十四日
甲賀山田太右衞門四十六才身上願明治三十二年五月十六日
増井幾太郎小人十三才、四才二人身上障りに付願明治三十二年六月二十二日
山田作治郎前々のおさしづより役員運び方皆寄せたる理を申し上げて身上伺明治三十二年八月十一日
日本橋分教会長中台勘蔵辞職の件に付、増野正兵衞より書面を以て申し来たりその件取り扱い心得のため願明治三十二年九月一日
増野正兵衞咳出るに付願明治三十二年十月二日
永尾楢次郎身上もう一時治まらん故願明治三十二年十月二十四日
植田平一郎身上願(中和支教会)明治三十二年十一月二十三日
ペスト病予防のため秋季大祭延期の事を、警察より忠告により御許し願明治三十二年十二月十一日
水口支教会長藤橋光治良四十二才並びに長男長右衞門十二才身上願明治三十二年十二月二十九日
宮森ヒサ眼の障り願明治三十二年五月五日
内田久蔵十九才身上願明治三十二年八月三日
礒田源治三十七才身上願明治三十二年一月十八日
硲田邦平身上願明治三十二年十二月三日
上原伊助妻ミツ二十三才身上願明治三十二年一月十五日
本部丑寅の方城作次宅地引き合いに付、昨日お願い申せば席を変えて悠っくり尋ねよ、との事に付、右宅地に就ては如何と願明治三十二年二月九日(陰暦十二月二十九日)
村田かじ四十三才右の乳に出物に付願明治三十二年三月五日
山沢為造目の悩みに付願明治三十二年四月十五日
村田幸助へ桝井伊三郎次男安太郎貰い受ける縁談願明治三十二年五月十七日
本局大祭に付教長御上京の事情願明治三十二年六月二十五日
清水与之助本局へ交渉の結果一先ず清水帰本の上、本局へ掛け合い事情の願明治三十二年八月十一日
増井りん五十七才身上願明治三十二年九月一日
永尾よしゑ身上願明治三十二年十月三日
永尾楢次郎身上に付さんげ申し上げよしゑ、まさゑ、政甚の三名より願明治三十二年十月二十七日
松村さく身上の願明治三十二年十一月二十四日
村田かじ四十三才身上願明治三十二年十二月十二日
郡山分教会副会長増田甚七に致し度く願明治三十二年十二月三十一日 夜
飯降まさゑ七十日前より背骨悩みに付、相談の事情も共に申し上げて願明治三十二年五月九日
川合鹿造二十才東京に於て勉学中身上願明治三十二年八月八日
中津熊蔵妻布志六十二才身上願明治三十二年一月二十一日
植谷梅松妻こう二十七才身上願