明治二十八年八月二十五日
森岡亀吉子供身上願明治二十八年十二月五日
宮森宅二間に六間建物願明治二十八年二月十八日
中山重吉南の方へ普請致す処、図面の通り申し上げ願明治二十八年三月十日
教祖御霊殿本部北寄りで六間に八間の建物建築致し度きにより願明治二十八年四月十日
高安分教会教祖を御祀り致し居りし座敷取り払い教祖の御殿を新築致し度く、就ては右座敷は教祖の御入り下されし座敷に付取り払いても可然や伺明治二十八年五月十三日 夜九時半
教長御身上大変迫りしに付御願明治二十八年六月九日(陰暦五月十七日)
本席御身上の願明治二十八年七月十日
山名部内愛知支教会事情に付、桝井伊三郎、永尾楢次郎両人治め方願明治二十八年八月三日 夜
六月十九日飯降政甚婿入りに付大阪へ出越し、小梅身上障りに付共に帰りの上願明治二十八年八月三十一日
兵神講社取扱事務所本部近傍にて求めたる地所へ四間十二間棟付東に掛け下ろし致し普請の願明治二十八年十月二日
事情願の後におさづけ一人加え御願い申し上げしに付御話明治二十八年十一月二日
高安分教会、本部近傍にて郡山増田甚七の地所を買い受け、高安事務所設置致し度く願明治二十八年四月三日
柿谷達太郎身上願明治二十八年九月十三日 夜
武内清次郎身上家内小人外役員共身上願明治二十八年十二月七日
上原伊助三十一才身上より願明治二十八年二月二十一日
南海分教会長山田作治郎母はる七十一才身上願明治二十八年三月十一日
清水与之助身上の願明治二十八年四月十一日
前川菊太郎明日か明後日か上京するに付願明治二十八年五月十八日 午後六時
教長御身上今一段速やかならぬに付御願明治二十八年六月九日
本席西宅の釜屋立て替えの願明治二十八年七月十一日
平野楢蔵身上願明治二十八年八月九日(陰暦六月十九日)夜
仲田事情願(仲田左衞門の家名は岸松が継ぎ居りますが、この人を引き寄せた方宜しきや、又楢吉日々おやしきに勤め居られますがどちら運んで宜しきや)明治二十八年九月五日
富松たみ身上願明治二十八年十月二日
山中忠七家移り陰暦八月十五日伺明治二十八年十一月五日
本席三日前より御障りに付御願明治二十八年五月十六日
畑林徳治郎身上願明治二十八年九月十三日
才加志市松母うの身上願明治二十八年十二月二十二日
安藤国太郎二十五才身上願明治二十八年二月二十五日
飯降政甚と大阪宮川小梅との縁談の儀運び人の心得の願明治二十八年三月十一日
村田慶蔵普請事情に付願明治二十八年四月十一日
足達保治郎四畝二歩宅地買い入れ御許しの願(本席宅東の地所)明治二十八年五月十九日
陸軍恤兵部より、軍資献納に付明細書差し出す儀通知有之に付、如何致して宜しきや願明治二十八年六月九日
普請小屋及び木材小屋東隣り地へ持ち行く願明治二十八年七月十二日
教長御全快に付、本復御祝の願明治二十八年八月九日(陰暦六月十九日)夜
増野正兵衞大阪より帰りし上大阪にて腹痛又留守中妻いと身上に付併せての願明治二十八年九月十三日
網島分教会事務所二間に三間これを先に建て、仮に親神様教祖御遷り御祀り致し度き願明治二十八年十月三日 夜
富田伝次郎身上願明治二十八年十一月五日
五条支教会担任富松猶次郎辞職に付、後任前田喜四郎に願明治二十八年五月二十九日
江藤すゑ縁談事情願(東肥支教会)明治二十八年九月十四日
上川孫兵衞五十二才身上願明治二十八年十二月二十三日
白藤常松身上願(加古支教会役員)明治二十八年二月二十六日
教祖御霊舎新築の儀願明治二十八年三月十二日
梅谷分教会部内に属し度くと願い出でし黒崎太治郎は、先達て不都合の処ありて一先ず退社命じたる者なるが、この度改心して入社申し込みしに付如何計りて宜しきや心得までの願明治二十八年四月十一日
増野正兵衞小人二人の目の障りに付願明治二十八年五月十九日 午後七時半
分支教会長一同帰部の上、教長御身上に付、本部員共に分支教会運び方将来心得事情願明治二十八年六月九日
豊田の道路中石橋架する願明治二十八年七月十二日
過日増野正兵衞身上おさしづより道のため尽し果てたるもの見分け引き上げの事情は人間心で取り決め兼ねます故神様より御知らせ下されますものや伺明治二十八年八月十日(陰暦六月二十日)
前川菊太郎本局より電信にて申し来たり上京の願明治二十八年九月十三日
増野いと身上の願明治二十八年十月七日 夜十時
刻限御話