明治二十八年十月二十三日
茶谷卯助四十五才身上願(南海部内東愛支教会会計)明治二十八年二月二十九日
神道本局幹事を教長に成りてくれとの事でありますが、御許し下されますや願明治二十八年三月十四日
平野楢蔵目の障りに付願明治二十八年四月二十九日
事情願の前におさしづあり明治二十八年五月二十八日(陰暦五月五日)朝
教長御身上の願明治二十八年六月二十四日(陰暦閏五月二日)
飯降政甚と宮川小梅縁談の儀双方内々運び致し本席教長本部員皆心運び方致し結構と申されしにより御許し下さるや願明治二十八年七月十五日
郡山部内龍間布教所却下に付、担任変更谷野音次郎を後任として再願の伺明治二十八年八月十四日
増田きぬゑ目の障り願明治二十八年九月二十日(陰暦八月二日)
たゞ今の座敷の北側へ二間程建てる事御許しの願明治二十八年十月十九日
東分教会副長加藤新兵衞事情願明治二十八年二月十九日
久木貞蔵六十六才身上願(撫養分教会会計掛)明治二十八年七月十三日
阪口安治郎身上願明治二十八年十月二十五日
石田玄益身上願明治二十八年三月二日
教祖墓標台石仕替える事御許し願明治二十八年三月十八日 午後八時
刻限(本席島ケ原より御帰りの晩平野楢蔵目の障り願の前)明治二十八年五月五日 午前九時半
平野楢蔵身上願明治二十八年五月二十八日
永尾せつ身上よりたつゑ身上に罹かり両人速やかなれば又々よしゑ身上に罹かりしに付願明治二十八年六月二十七日(陰暦閏五月五日)
増野正兵衞身上及びいと居所の願明治二十八年七月十九日
今度教会請願の件御許し頂戴の分は地方庁へ出願の願は休務中に相成るに付、たゞ今一度に御許し下されますや伺明治二十八年八月十八日
中河分教会長に付伺(中河分教会治め方に付会長前川菊太郎東京より帰る願)明治二十八年九月二十日
別席を陽暦九月二十三日より始める願明治二十八年十月十九日(陰暦九月二日)
寺田半兵衞孫行く/\本部の方へ引き寄せてという処から親寺田たんのうして貰いましたらという処願明治二十八年二月二十八日
西井徳重六十二才身上願明治二十八年七月二十二日
神田亀吉五十三才身上願(川之江支教会長)明治二十八年十月二十七日
岡林浅次三十五才身上願(高知部内)明治二十八年一月十四日
内務省社寺局より浪花新聞の件に付申し来たりしより、橋本清上京に付伺明治二十八年三月三日(陰暦二月七日)
浅田いそ身上願明治二十八年三月二十四日
陰暦四月五六日宇佐支教会開講式に付本部長出張の儀御許し可否願明治二十八年五月五日
山田伊八郎及び小人三名の障り願明治二十八年五月二十八日
上村吉三郎家内目の障りに付願明治二十八年七月一日(陰暦閏五月九日)夜三時三十分
教長御身上腹痛上げ下し厳しきに付御伺明治二十八年七月十九日
神沢瀧蔵五十六才身上願明治二十八年八月十八日
橋本清、喜多治郎吉両人越後佐渡地方に派出の件伺明治二十八年九月二十二日
仲田楢吉、西村喜之助布教のため出度く願明治二十八年十月十九日
平野トラ身上願明治二十八年三月十一日
郡山分教会部内池田支教会所地所の処三方の事情申し上げ願(中和)明治二十八年七月二十四日
小西勝助五十才身上願明治二十八年十月二十九日
板倉槌三郎子息国太郎身上願明治二十八年一月十四日
諸井ろく身上願明治二十八年三月四日
島ケ原支教会を分教会に引き直しの件に付、初めての事ゆえ念のため心得まで願明治二十八年三月二十五日
下村賢三郎病気に付、山沢為造尋ねに行く事御許し願明治二十八年五月十日
教長南海分教会にて身上御障りに付事情申し上げ願明治二十八年五月三十一日 夜十時頃
教長脳の芯痛むに付身上願明治二十八年七月一日
村田幸助四十四才身上目の障りに付願明治二十八年七月二十一日
これまで本部御許しの上本局添書下り次第伺い仕る処、御休務に相成るに付、一時に御許しを御伺いしても宜しう御座いますか、又一々御願申し上ぐべきや願明治二十八年八月十九日(陰暦六月二十九日)
藪の北方田地一町三反余買い入れる事御許し下さるや願明治二十八年九月二十二日
中山まさ身上願明治二十八年十月十九日
村田すま身上願明治二十八年三月十二日
柴田久兵衞妻よね五十四才身上願明治二十八年七月二十八日
中川久蔵妻小ふじ六十四才身上願