明治二十二年七月六日
本席身上御障りに付伺明治二十二年七月十六日
井筒梅治郎身上願明治二十二年七月二十八日(陰暦七月一日)
長州阿武郡萩御許町五十五番地、増野喜市当月十八日より肺病にて重きに付、増野正兵衞帰国致すが宜しきや、書面送るが宜しきや伺明治二十二年八月十八日 頃
当三島村田中忠蔵、清水利八、中島嘉三郎、中川勘平宅地一反三畝十八歩、おやしき地面続きに付、買入れの事御許し下さるや願明治二十二年九月十日
本田分教会地方庁へ願出で致しますか、国々派出して宜しきか願(芦津分教会)明治二十二年九月二十六日 午前九時
甲賀支教会願書滋賀県庁へ差出しの儀に付伺明治二十二年十月二十六日(陰暦十月三日)
本席別風呂仕立ては、気兼ねせられ、外の湯に入りたいと仰せらるゝが、如何のものでありますや伺明治二十二年十一月六日 午後八時
中山会長河内松村へ葬式見送りに行くに付伺明治二十二年十一月二十三日
東京出張所の上原佐助、清水与之助に対し、本部設立の節不行届にて打合せ悪しくに付、一同相談の上、清水与之助、平野楢蔵出張して打合せに行く事願明治二十二年十二月十四日(陰暦十一月二十二日)午後
飯降政甚咽喉障りに付願明治二十二年 頃
松村亀次郎の伺明治二十二年三月二日(陰暦二月一日)
西岡岩太郎二十二才(吉野郡佐田村)明治二十二年五月十日
藤橋光治良三十二才(元斯道会第九十三号講脇滋賀県近江国甲賀郡佐山村大字神保第五十五番戸)明治二十二年七月十日
山田太右衞門妻きく二十五才十五日以前より胸先右の肩悩み伺(元斯道会江州甲賀郡宇田村第三十八号講元妻)明治二十二年八月八日(陰暦七月十二日)
松本忠七五十四才身上願明治二十二年九月八日
小西亀治郎二十九才身上願(芦津)明治二十二年十二月八日
藤田弁之助三十八才(播州美嚢郡鍛屋村真明組周旋方)明治二十二年
中井宗七四十七才目の障り伺(神戸元町一丁目六十六番地)明治二十二年十月二十一日
春野ゆう六十八才喘息障り伺明治二十二年一月十八日(陰暦十二月十七日)
本席御身上の伺(休息所へと願えば)明治二十二年一月
平野楢蔵の願明治二十二年二月十四日
大和国平群郡若井村講元松尾与蔵二十九才おさづけさしづ明治二十二年三月六日(陰暦二月五日)
松村吉太郎の身上より、いんねんの理によりておさしづに預りたれ共、山本は河内に於て紋型無き処より弘めた方に付、此中のおさしづに、紋型無き処からと仰せられましたが、此辺如何にや伺明治二十二年三月二十六日(陰暦二月二十五日)
兵神分教会所去る陰暦二十六日地築に付、講社員多人数出て賑々しく致したる御礼申上げし時のおさしづ明治二十二年四月十七日(陰暦三月十八日)午後十時三十五分
刻限御話明治二十二年四月
兵神分教会所棟上の願明治二十二年五月二十五日(陰暦四月二十六日)
兵神分教会所新築落成に付区役所へ届済、この段御礼申上げ、就ては開講式の儀は陰暦五月五日六日両日御許し願明治二十二年六月十五日(陰暦五月十七日)
増野正兵衞前々おさしづ御聞かせ下されし処、毎々帰りまして恐れ入りますが、分教会の処談示もありますに付、帰る事御許し願明治二十二年七月六日
橋本清南海行願明治二十二年七月十七日(陰暦六月二十日)
増野正兵衞左の足小指障りの伺明治二十二年七月二十八日
梶本みきヱ脇下出物願明治二年八月十九日
清水与之助身上の願明治二十二年九月十日(陰暦八月十六日)
増野正兵衞咳の障り伺明治二十二年十月三日
増井りん願明治二十二年十月二十六日(陰暦十月三日)
おさしづの後へ御話明治二十二年十一月六日
永尾たつゑ身上願明治二十二年十一月二十三日 朝
清水与之助、平野楢蔵東京へ出張の件の後にて、清水与之助の身上の障り願明治二十二年十二月十八日
喜多治郎吉身上腫物に付願明治二十二年一月九日 午前十時
京都斯道会集談所講長深谷源次郎伺(教会所地面表口八間八分裏行二十一間百七十一坪二合三勺、京都下京区第六組松ケ枝町)明治二十二年三月三日(陰暦二月二日)
林つま四十六才(河内国喜連村講元)明治二十二年五月十四日
岡本久太郎長男太助十一才身上願明治二十二年七月十一日 午前七時四十分
植谷浅次郎身悩みに付願(元斯道会愛宕郡大原村第二十一号周旋方)明治二十二年八月九日
吉田梶太長女おさわ三才脳膜引き付け身上に付願明治二十二年九月十日
梅本善七長男永治五才十日前より出けものに付伺(大和国吉野郡平沼田村)明治二十二年十二月八日(陰暦十一月十六日)
天野善七四十一才胸つかえ腰悩み伺明治二十二年
深谷悦次郎伺明治二十二年十月二十一日(陰暦九月二十七日)
清水与之助身上願