明治二十二年一月七日午前十一時
園原上田嘉治郎の伺(ナライトの父)
さあ/\だん/\尋ねる処、さあ/\心を鎮めて分からん事は尋ね返やせ。さあさあ台が定まれば皆定まる。一つ定まりゃ皆定まる。ろっくに直すが一つの理、その台という理を聞き分け。ろっくの台を直す処で、じっと台を直せば、じっと治まる。これは道理の理、これを分からんなれば、尋ね返やせ。それ台一つの理をよう聞き分けねばならん。まあ遠いように思うたる処、二年三年では分からんと思うたる処、一時どうであろうと思う。なれど、見えたるなれば、これが神の道の理という。後々の理を思うて見よ。先ず外れた理はあろうまい。今一時尋ねる処というは、生涯の理を尋ねるから、生涯の理を諭そ。間違いと思えば、これ心の理が間違う。深きの理、いんねん深きの処、一つの理が治まれば、一時一つの理が治まる。さあさあ小人一つの理の処、ぢばへ寄せたる処の理、又後に一つの理を運んだる処、一日の日の処は、やれ/\と思うた。神一条の一つの理を運べば、これ神の道であろう。今一時尋ねる処は、どうせこうせとは言わん、と諭したる処、成るが一つの理、成らんが一つの理。さあ/\遠く道ではない。近くの処、日々に事情を治められる。一日の道もあれば、十日道もある。十日の道もあれば、三十日の道もある。朝に来て昼に戻る、昼に来て暮に帰る。さあ/\これ一つの事情の理をよう聞き分けて、成らんの理を無理にせいとは言わん。まあ一寸やれ/\、まあ一日の日はあちらも同じ、こちらも同じ理、もう何とも/\楽な道もある。さあ二十年よりの理を見分け、聞き分け。世上にはあろうまい。さあかたが無くては定められようまい。ひながたの道を見てよう聞き分け。よき日の理は一つの楽しみ。さあ身上にこうなる、心を治まる。なれどもこうやと内には小人の処、又一つには内々の事情も治めにゃなろまい。一時どうせこうせは言わん。成るが一つの理、さあどんと一つ定め替え。又、順序神一条の処、前々に深き話も聞かしたる処、さあ/\まあ今一時の処では、何故なあと言う。日々日が経てば案じる事は要らん、何にも案じる事は要らんで。又世上にはあんな事をして居ると言うなれども、言う理は聞いて置け、聞く理は聞いて置け。かしものの理は何にも分かりゃせん。いずれ鮮やかな道は聞かさにゃならん、通さにゃならん。さあ/\悠るうと諭して一つの理、悠るうと聞いて一つの治まり。