明治二十二年三月三日(陰暦二月二日)
林つま四十六才(河内国喜連村講元)明治二十二年五月十四日
岡本久太郎長男太助十一才身上願明治二十二年七月十一日 午前七時四十分
植谷浅次郎身悩みに付願(元斯道会愛宕郡大原村第二十一号周旋方)明治二十二年八月九日
吉田梶太長女おさわ三才脳膜引き付け身上に付願明治二十二年九月十日
梅本善七長男永治五才十日前より出けものに付伺(大和国吉野郡平沼田村)明治二十二年十二月八日(陰暦十一月十六日)
天野善七四十一才胸つかえ腰悩み伺明治二十二年
深谷悦次郎伺明治二十二年十月二十一日(陰暦九月二十七日)
清水与之助身上願明治二十二年一月十八日(陰暦十二月十七日)
大阪天輪王社の名義は、六年以前に御許しを受け居りしを、今回本部より分教会の御許しを受けしに付、天輪王社の名義を取消す事の願明治二十二年二月二日(陰暦正月三日)朝
梅谷梅次郎、長堀材木商門田へ奉公に行くに付願明治二十二年二月十五日(陰暦正月十六日)
梅谷四郎兵衞下阪に付伺明治二十二年三月七日
清水与之助腹痛みに付願明治二十二年三月二十八日
平野楢蔵より伺、河内一国講社合併に付ては、恩智村は彼是申居るに付、一応参りて可然や伺明治二十二年四月十八日
平野楢蔵の願明治二十二年五月七日 午後十二時
永尾よしゑ頭痛、たつゑ夜泣きするに付、併せて願明治二十二年五月二十六日
増野正兵衞前さしづより前の障り伺(五月二十二日左の頭のぼせ耳が鳴り、二十三日夜俄に胸先へ厳しく迫り二十四日宜しく、二十六日右の手先の痛みにつき伺)明治二十二年六月十六日
喜多治郎吉身上に付願明治二十二年七月六日(陰暦六月九日)
梶本松治郎より白土屋の店預る事に願いし時おさしづ明治二十二年七月十七日
諸井国三郎小人たま身上願明治二十二年七月二十八日(陰暦七月一日)
梶本内浅田徳二郎身上障りに付願明治二十二年八月十九日
清水はる熱強く、上へ戻すに付願明治二十二年九月十六日(陰暦八月二十二日)
明二十三日兵神分教会月次祭なるも、清水与之助事情のため帰る事出来ず、よって増野正兵衞代りて神戸へ帰る事増野より伺明治二十二年十月四日(陰暦九月十日)
阿波国板野郡斎田村に於て支教会普請願(撫養支教会)明治二十二年十月二十六日(陰暦十月三日)
河内国松村栄治郎老母出直に付、中山会長斎主御許しの願明治二十二年十一月六日(陰暦十月十四日)午後九時
刻限御話明治二十二年十一月二十五日
前川菊太郎、梶本松治郎、永尾楢次郎、三名別席の願明治二十二年十二月十九日
増野正兵衞河原町分教会所開筵式に行き、十五日夜より腹痛夜々二度、昼も二度に付伺明治二十二年一月九日
田代兵蔵四十七才(滋賀県近江国甲賀郡三大寺村斯道会六十四号講元)明治二十二年三月四日(陰暦二月三日)
武内清次郎二十八才(備中笠岡真明組周旋方)明治二十二年五月二十六日(陰暦四月二十七日)
紙谷ゑい身上伺明治二十二年七月十七日(陰暦六月二十日)
前川喜三郎伺(法喜寺村)明治二十二年八月十日(陰暦七月十四日)朝八時
上田善兵衞三十七才女房みや出直しつゞいて娘かめ出直しに付伺(大阪東区南本町三丁目天地組)明治二十二年九月十六日 九時
宇野善助五十四才伺(十四五日前より腹中より、芯へこたえ障り、夜になると冷えるようになります、この段伺)明治二十二年十二月十日
西川嘉平治三十二才(斯道会三十八号周旋方近江国甲賀郡柏木村字植第五番地)明治二十二年
深谷源次郎四十七才伺明治二十二年十月二十一日(陰暦九月二十七日)
清水与之助より建家を願明治二十二年一月十九日
飯降まさゑ身上願明治二十二年二月三日(陰暦正月四日)
鴻田忠三郎越後行の伺明治二十二年二月十六日(陰暦正月十七日)
平野楢蔵、山本利三郎、高井猶吉、三名河内一統高安分教会所設置のため、集会に付出張の儀伺明治二十二年三月七日(陰暦二月六日)
兵神分教会の願、東京本局管長の添書を送付相成り、兵庫県へ出願致しますに付、清水与之助、増野正兵衞両名神戸へ帰る事の願明治二十二年三月二十八日
高安分教会設置添書本局より下付相成れ共、大阪府の処、只今大阪船場分教会出願中に付、その許可まで延引致すべきや運ぶべきや伺明治二十二年四月十八日
平野楢蔵願明治二十二年五月七日(陰暦四月八日)
梶本うの腹痛み、気分悪しく障りに付伺明治二十二年五月二十七日(陰暦四月二十八日)
船場分教会普請に付梅谷四郎兵衞願明治二十二年六月十七日
松村吉太郎父栄治郎及祖母たみ病気に付伺明治二十二年七月七日(陰暦六月十日)
本席の向い東南に当る三島の足達地所買取っても宜しきや、増野正兵衞より伺明治二十二年七月十七日
諸井その、十四日より左の手足しびれ、自由叶わざるに付願明治二十二年七月二十九日
松村吉太郎祖母たみ病気に付、神の道を運びて宜しきや、何分老体の事に付、伝えて却って御意に叶わずと思いしが、この儀如何にや伺明治二十二年八月二十日(陰暦七月二十四日)
梶本うの指先の障りに付願明治二十二年九月十六日(陰暦八月二十二日)
前御願、地所買取中山会長の名義に書換御許しの願