明治二十七年九月二十六日
藤井おまさ十八才身上願明治二十七年一月二十日
正月には前年十二月二十日より正月十五日まで御休みの事願明治二十七年二月三日
教祖御墓地山の続きの地所買い入れし事願明治二十七年三月五日 夜十二時
教祖御霊屋のうしろへ三間に二間一棟建物事情願明治二十七年四月三日 午後五時五十分
先のさしづより御尋ね願(但し松村五三郎の件)明治二十七年五月十二日
南海分教会火災に付改めて普請の願(教会所は九間に十間の建物)明治二十七年五月三十一日
前川喜三郎葬祭埋葬地豊田山の願明治二十七年六月十七日
矢追楢蔵の願明治二十七年七月十一日
高安部内古市支教会浅野喜市出直せしに付、後任の処同人小児を以てするが宜しきや又役員を見分けてするが宜しきや伺明治二十七年七月三十日
刻限御話(前川梅三郎身上願後引き続きて)明治二十七年八月二十七日
中山会長より直に御願(奈良郡長より軍事公債の事に付知事より御話これある由言う事にして宜しきか心得まで御願)明治二十七年九月十九日
山本利三郎内へ乳母置くの願明治二十七年十月二十五日
河原町部内秩父支教会事務所焼失に付願明治二十七年十一月十三日 夜
教長政甚を連れて本席御詫びの願明治二十七年十二月十四日
上田民蔵目の処願明治二十七年三月十三日
宇野善助長女こん二十五才三久保力三郎次男繁治郎二十九才縁談事情願明治二十七年五月二十五日
杉本かめ身上願明治二十七年七月五日
礒田源右衞門身上願明治二十七年九月三十日
村田五良平四十五才足の痛みに付願(城島分教会役員)明治二十七年一月二十日
盃の処雲かわらけに改めたものでありますや、これまで通りで宜しきや願明治二十七年二月三日
衆議員事情に付願明治二十七年三月五日 夜十二時
平群郡生駒村川久保重□長男鐵蔵二十四才願明治二十七年四月七日
郡山部内山陰支教会所の北側へ二間に四間の建物又北東手へ一間半に三間の建物の願明治二十七年五月十二日
松村吉太郎地所質入れの件伺明治二十七年五月三十一日
諸井政一身上に付国三郎より願明治二十七年六月二十日
網島分教会地所百三十九坪余買い入れ願明治二十七年七月十二日
撫養部内名西出張所へ地方人民より雨乞い出願に付心得まで願明治二十七年七月
諸井国三郎胸つかえ、三度吐き直ぐ救かり、それ故登参致し身上願明治二十七年八月二十七日
中山会長より清水与之助願の事に付御願明治二十七年九月二十一日(陰暦八月二十二日)夜十二時五分
刻限(但し飯降まさゑ縁談一条に付)明治二十七年十月二十五日
寺田半兵衞及び小人身上の願明治二十七年十一月十七日 十二時頃
本席御身上の願明治二十七年十二月十七日
村田慶蔵建家建て出す事の願明治二十七年三月十五日
小梶与兵衞四十才身上願明治二十七年六月五日
柴田弥一郎二十五才身上伺明治二十七年七月十二日
河原町分教会役員定める事六名の願明治二十七年十月十九日
佐藤久米七六十六才身上願