明治二十五年十一月八日
教祖御改葬の当日は、二十五日に致しますか、二十六日に致しますか、二十七日に致しますか、この三日の内何日にして宜しきや明治二十五年十一月二十日
田原部内に於て福住村に布教事務取扱所設置願明治二十五年十二月五日
教祖御改葬当日事情に付願明治二十五年十二月十八日
東部内相馬出張所設置願明治二十五年十二月二十三日
大江支教会地方庁へ出願の願明治二十五年一月十日
石田利平身上熱病に付願明治二十五年三月三日
太田清八妻ナカ三十五才身上願明治二十五年三月二十七日
松尾常松身上願、且つ御守りの事に付事情願明治二十五年七月五日
中村初治郎三十八才身上願明治二十五年九月十九日
岡本久太郎妻かつ四十才身上願明治二十五年十一月四日
片岡常太郎長男亀之進の身上に付願明治二十五年三月十六日
心勇講社五条町に於て支教会設置の願(南和支教会)明治二十五年三月二十七日
島ケ原支教会所陰暦三月三日より普請に取り掛かる願明治二十五年四月十一日
山沢ミキノ身上はしかのようなもの出来しに付願明治二十五年四月二十四日
兵神部内小野町に於て支教会設置の件願(加東支教会)明治二十五年五月十四日
増田つね身上願明治二十五年五月二十二日(陰暦四月二十六日)
村田慶蔵胸切なきに付願(だん/\内々事情洗い切ってその上の願)明治二十五年五月三十日(陰暦五月五日)
桝井伊三郎三日前より左肩抑えられる様になり、左足ねまるに付願明治二十五年六月九日
増田つね身上に付山本来たり、山本より願明治二十五年六月二十二日
南海部内西牟婁郡岩田村に於て支教会設置願(担任教師西松太郎、中紀支教会)明治二十五年七月七日
芦津部内笠岡支教会敷地として、笠岡町大字笠岡小字川辺屋町淡路の浦持主伊藤儀助地面貰い入れ度き願明治二十五年七月二十九日
本席郡山分教会へ遊びに御越しの願明治二十五年八月十一日
城島分教会所月次祭従来陰暦二十七日の処二十三日に改め度きに付願明治二十五年八月二十日
河原町部内丹波国氷上郡成松村之内黒田村に於て出張所設置願(氷上出張所)明治二十五年八月三十一日 午後九時三十分
刻限明治二十五年九月十六日
畑林やす身上願明治二十五年九月二十三日
奈良支教会所普請の願(梁行四間桁行八間)明治二十五年十月二日
島ケ原支教会所未の方へ井戸掘る願明治二十五年十月十七日
撫養部内名東支教会の普請の処、教会所は八間に四間、受付は二間に三間半、座敷は二間に三間半、竈は二間に一間半の御許し願明治二十五年十月二十七日
豊前国宇佐に布教事務取扱所を宇都宮右源太宅に設置願明治二十五年十一月八日
河原町部内秩父支教会設置地方庁へ出願の伺明治二十五年十一月二十日
河原町部内丹波国多紀郡福住村字奥原山に布教事務取扱所設置願明治二十五年十二月五日
東部内阪東支教会設置願明治二十五年十二月十八日
北部内船井支教会所普請地搗きの願明治二十五年十二月二十四日
本席御用場普請図面改め八間にして御許しの願明治二十五年一月十日
石田利平身上伺(沢田たみより、石田利平身上は私宅地所普請の祟りであると皆が申しますが、この点御尋ね伺)明治二十五年三月三日
上原ミツ十六才島村伊助縁談の願明治二十五年三月二十七日
檜尾岩吉身上願明治二十五年七月九日
松田源蔵出直し事情、松田おくに伜清蔵両人身上願(神戸市下山手通六丁目)明治二十五年九月十九日
木下嘉兵衞四十一才身上願(平野講社)明治二十五年十一月四日
檜作徳治長男菊松二十九才右は二十四年陰暦十一月より行先分からずに付願明治二十五年三月十六日
梅谷四郎兵衞より備前へ出張の事情願明治二十五年三月二十八日
高知分教会部内に於て集談所設置の願明治二十五年四月十二日
喜多治郎吉、山沢為造に代り橋本清と共に江州へ布教の儀御許し願明治二十五年四月二十四日
船場部内明心組第四号魚崎村に於て支教会設置の件願(莵原支教会)明治二十五年五月十五日
山名部内浜松支教会設置願明治二十五年五月二十二日
林芳松身上障りより返やす事でありますか願明治二十五年五月三十一日
本席身上御障りに付前おさしづにより願(南海分教会行より続いて本席身上速やかならざるより願)明治二十五年六月九日(陰暦五月十五日)夜十二時
村田長平小人慶蔵身上の願明治二十五年六月二十四日
教祖御墓所石玉垣造る事の願