明治三十四年二月十日
こたまの事に付、戸籍を引く事本部員会議してその旨おさしづの上、如何致しましたら宜しう御座りますや願明治三十四年三月二十九日(陰暦二月十日)
増野正兵衞、道興、おとも風邪熱強く、又春野喜市風熱、たか血を吐き障りに付願明治三十四年五月十七日
本席明日より水口分教会へ御出張下さる願明治三十四年七月十五日
兵神分教会長富田伝次郎長男米太郎三十四才黄疸身上願明治三十四年九月二十八日
梅谷とみゑ修行のため世界へ奉公に暫時出す願明治三十四年十一月二十一日
一昨朝教校工事場出火致し、御詫びのため掛員始め本部員一同願明治三十四年三月五日
高井猶吉左の手の障りに付願明治三十四年八月十六日
高室清助三十六才身上願(山名部内台北教会長)明治三十四年二月二十八日
土佐卯之助四十七才身上願明治三十四年三月二十九日(陰暦二月十日)午前十時
諸井国三郎去る陰暦正月二十五日の夜俄かに身上嘔吐下痢交々厳しく、二十七日朝おさしづを頂き如何様とも改めさして頂きますと御願い申しおたすけを頂きしも、其後、妻その小児なつの共に身上障りに付願明治三十四年五月二十五日
昨日より本席御身上大変のぼせると仰せあり、御障り中本日朝増井りん教祖赤衣仕立て下されし事に付申し上げ下され、それよりだん/\御話ありて本部員残らず寄せと仰せあるにより、一同打ち揃い御話(御敷布団しかず御坐りでおさしづ)明治三十四年七月二十八日
畑林やす四十九才身上願明治三十四年十月一日
本席宅二間に六間の菓子拵える小屋いろ/\入れる物建て度く願明治三十四年十一月二十四日
兵神分教会役員と部内の方との事に付事情願明治三十四年三月二十六日 夜
西村おなつ身上咳くに付願明治三十四年九月十七日
西村喜之助次男喜代蔵一才身上願明治三十四年三月一日
堺支教会長平野辰次郎へ田原支教会役員竹西長松弟千次郎貰い受け度く願明治三十四年三月三十日
河原町分教会長深谷徳次郎外小人それ/\身上に付願明治三十四年五月二十五日
本日昼のおさしづを申し上げし時、続いて御話しになり明治三十四年七月二十八日
植田平一郎五十六才身上願明治三十四年十月三日
水口部内御殿場出張所何の事なく少し北へこけましたに付、段々事情運び此度造築致し度く願明治三十四年十一月二十六日
永尾よしゑ御願でありますが、鳴物稽古に皆私の処へ御越し下されますが、そこで手を付けさして貰われん事は御座りませんけれど、元は上田ナライト、辻とめぎくの三人でありますから、私一人で手を付けさして貰いましてはすみませんから、いかゞ致しまして宜しく御座りますやと願明治三十四年四月十五日
川勘五郎三十三才願(島ケ原分教会金亀支教会長)明治三十四年九月二十三日
政田甚五郎五十二才身上願明治三十四年三月七日
永尾よしゑ身上のぼせに付願明治三十四年四月二日
敷島分教会長山田伊八郎長男倉之助十九才に山中彦七次女光栄十九才を貰い受ける縁談事情願明治三十四年五月二十六日
前おさしづより本部集会又教長へ運び致し、その趣を本席へ申し上げて御詫び致し居るところ、俄かに御話ありし角々(平野楢蔵、桝井伊三郎、増野正兵衞三名運び)明治三十四年八月十三日(陰暦六月二十九日)
教校本館と講堂二棟新築する願明治三十四年十月十二日
諸井ろく名古屋へ奉公に出し度き儀願明治三十四年十二月十一日
山名部内清国厦門へ高室清助、山下万吉両人出張布教致し度く願明治三十四年四月十九日
田代卯吉妻きく二十八才身上願(水口分教会理事養嗣子妻)明治三十四年九月二十五日
上田与三郎四女こいと十七才身上願(奈良支教会役員)明治三十四年三月九日
梅谷分教会部内西沢万吉より本部基本財産として山林献納願明治三十四年四月三日(陰暦二月十五日)
増野正兵衞及び春野たか身上の願明治三十四年五月二十六日 午後六時五分
一昨日二十四日よりの事情に付ては、平野楢蔵、増野正兵衞、桝井伊三郎の三名教長へ運び、教長二十七日より御運びの席に御出まし下さる事、本席へ申し上げし処、本席より御守りは如何にと仰せられ直ぐ教祖御入り込みにて大声にて明治三十四年八月十四日
井筒とよ手痛み、息女たねのぼせ、同ふみ歯痛み三人共身上に付願明治三十四年十月十三日
教校教室二棟出来上りに付、後へ事務室二十間に五間物を建築致し度く願明治三十四年十二月二十一日
教校開校式陽暦一月七日に致し度く、それには県知事始め高等官及び署長招待致し度き儀御許し願明治三十四年四月二十日
浅井勝太郎四十七才身上願明治三十四年九月二十七日
石井治太郎妻志げ四十七才身上願(越後村松出張所担任)明治三十四年三月十一日
宮森与三郎右の眼の障りに付願明治三十四年四月十一日
宮森与三郎妻ヒサ眼の障りに付願明治三十四年五月二十八日
東分教会より本席を水戸地方へ招待に付願明治三十四年八月十五日
本席遠州浜名湖へ御遊びに御出で下さる事を、山名分教会より招待に付願明治三十四年十月十四日
前日永尾よしゑの身上のおさしづに古き事情という処なり、中の事情という処もありましたが、その古き事情と仰せられますは如何の処でありますや願明治三十四年一月十二日
山田亀吉子供いちの、きみゑ身上願明治三十四年四月二十四日
都築竹治四十六才同妻トラ四十三才願明治三十四年十月十七日
今村五平六十三才身上願(水口分教会役員)明治三十四年一月十二日
撫養分教会長土佐敬誠出直しに付、後任選定まで事務代理を土佐卯之助勤め度く願明治三十四年三月十五日
本部東の蔵続きの北へ三間に二間半の蔵新築願