明治二十三年六月二十五日
椋野岩治郎十九才(吉野郡北山村大字浦向)
さあ/\だん/\の席返やし/\の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以て一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、こら言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかとす。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つ。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なれば、直ぐに受け取る直ぐと返やすが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。又一つ、これまで運ぶ尽す中に、互い扶け合いというは、これは諭する理。人を救ける心は、真の誠一つの理で自由という。よく聞き分け。誠の理が救ける理で救かる。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々の事情の理めん/\事情理に治め。これより先永く事情には、又一つ、第一の理を諭しよ。第一の理には所々にて諭する台、これが第一。又一つには、日々に家業という、家業大切。又一つには内々互い/\孝心の道。これ二つ一つは天の理と諭し置こ。さあ、これより先永く変わらん事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ授け置こ/\。あしきはらへたすけたまへ天理王命、と、これを三度又三度々々々三々々、さあ理を授けよう、さあ授けよう。さあ受け取れ/\。