明治二十四年十一月五日 朝七時十五分
俄かに刻限の御話明治二十四年十一月十四日
藤橋光治良身上願明治二十四年十一月十六日
桝井伊三郎願(昨日身上より夜分尋ね出るようと御聞かせ下されあり、これは皆揃うて出るのでありますか、一名一人宛でありますか。)明治二十四年十一月二十八日
増田甚七身上願明治二十四年十二月十六日
芦津分教会部内笠岡支教会月次祭の願明治二十四年十二月二十八日
寺田半兵衞身上寒気立ち身縮まるよう思う、又コウ口中荒れ真之亮咳出でに付願明治二十四年一月十八日
秋岡亀治郎長女しづ十六才身上願(西宮講元長女)明治二十四年三月十八日
深谷源次郎身上障りに付願明治二十四年五月六日
山瀬トヨ身上願明治二十四年六月十二日
酒井佐吉身上願明治二十四年七月二十六日 朝
飯降政甚等盗難に付伺(七月十日頃昼中に政甚着物清水浴衣各一枚紛失、十六日朝再び盗難に付伺)明治二十四年九月七日
宇野善助身上願明治二十四年十月一日
平野講社周旋人二、三名出直しに付、心得のため伺明治二十四年十月二十一日
宮森小人身上願明治二十四年十一月十三日
上原小人鹿造の件願明治二十四年十二月十六日
松田源蔵二十三才身上願明治二十五年一月八日
郡山分教会部内若狭国白浜出張所御許し願明治二十五年一月十八日
兵神部内飾東支教会節会陰暦正月四日に執行の願明治二十五年一月二十六日
教祖御履歴編輯の事に付願明治二十五年二月九日
高安分教会前二階普請御許しに付旧建家を西方屋敷西北南石垣をなして其処へ移転の願明治二十五年二月十六日
増井りん身上事情願明治二十五年二月二十四日
山名部内白羽支教会出願の件に付伺明治二十五年三月二日
増田つね身上願明治二十五年三月十二日
松村吉太郎右の眼悩みの願明治二十四年八月四日
煮炊場東へ持ち行く事の伺明治二十四年八月十九日
増野正兵衞三日前より腹下り夜分夜通し下り、しぼり腹に付願明治二十四年一月八日(陰暦十一月二十八日)朝
こえのつとめの願明治二十四年一月二十一日
上田ナライト身上事情によって願明治二十四年二月六日
松村吉太郎皮癬に付願明治二十四年二月十七日
おかぐら御面を修復に掛かる願明治二十四年二月二十六日(陰暦正月十八日)
五年祭の取り扱いに付意見一致せざるに付願明治二十四年三月十一日
清水与之助朝々に咳出るに付願明治二十四年三月二十五日
大阪清心組講社の願(中河部下)明治二十四年四月十四日
東京東分教会より秋田県へ派出の願明治二十四年四月二十日
上田ナライト身上事情願明治二十四年四月二十九日
春野利三郎へ大阪梅谷四郎兵衞妻妹はるを嫁に貰うつもりにて、先に当分手伝のため神戸春野方へ参り、互に心を見合い中利三郎の心に入らず、よって大阪へ連れて帰りて断るに困り、又付合上にも関するに付生涯縁あるや否やに付願明治二十四年五月十日
播磨国美嚢郡高木村、神沢瀧蔵身上願明治二十四年五月二十一日
寺田半兵衞娘コウ、孫真之助両人身上速やかの上事情願明治二十四年六月四日
梅谷たか十二才足、手、面にくさ出来しに付願明治二十四年六月十七日
増野正兵衞胸の障りに付願明治二十四年七月四日
増田とみ身上願明治二十四年七月十三日
春野ゆう七十才目かいの障りに付伺明治二十四年九月十九日
河原町分教会部内越乃国支教会所敦賀町字大金第三十一番地移転事情の願明治二十四年十月二日
山本コマツ身上に熱又小人しげの身上障りに付願明治二十四年十月十五日
春野事情及びいと身上伺明治二十四年十月二十四日
日和佐支教会長妻ハツ及び役員身上障りに付願明治二十四年十一月五日
震災のため名古屋へ出発せし高井猶吉、宮森与三郎、清水与之助、永尾楢次郎等帰宅の上おさしづ明治二十四年十一月十四日
佐治登喜治良の願明治二十四年十一月十七日
郡山分教会部内山陰支教会地所の願明治二十四年十一月三十日
橋本清、山本利三郎、宮森与三郎紀州行きの願