明治二十九年一月十六日
増野正兵衞身上声出ぬ障りに付願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
山沢為信身上願明治二十九年三月二十七日
中河分教会教祖御殿落成に付、遷座式陰暦二月十九日夜に行い度く二十日は十年祭、十八日に本席招待、十九日教長招待願明治二十九年五月十一日
井筒梅治郎娘たね十八才、松村五三郎二十三才縁談の願明治二十九年六月十七日
本部長随行に橋本清、平野楢蔵両名の願(併せて平野楢蔵東分教会事情治め方兼ねて行く儀願)明治二十九年九月二十一日
本部より信徒へ渡すべき神鏡の祈念は如何に願いまして宜しきや伺明治二十九年十二月十三日
前川梅吉宅地買い入れの件願明治二十九年五月二十九日
上田善兵衞四十四才身上願明治二十九年九月二十六日
中西菊太郎妻よね身上願明治二十九年一月十九日
紺谷久平目かいの障り願明治二十九年三月六日
網島分教会三月二日夜鎮座祭、同三日開講式、同四日大祭兼十年祭執行の儀願明治二十九年三月三十一日 夜九時
刻限明治二十九年五月十三日
高安分教会役員安藤鶴松の遺族を教会へ引き移し度く願明治二十九年六月十七日
郡山部内北陸支教会所都合により元の雲浜出張所跡へ移転し万事事務取扱い致し度く願明治二十九年十月四日 夜
井筒梅治郎身上障りに付願明治二十九年十二月十五日 午後四時
増井幾太郎次女ヨシヱ身上願明治二十九年六月八日
小山又四郎身上願明治二十九年九月二十九日
小西彦七三十才身上願明治二十九年一月二十五日
台所の裏門壁及び教長宅の湯殿を取り除き、客殿の廻り東北西に壁を立てること、西の方に門を立てること、元の教会の裏門壁とも取り除け、又木小屋大工小屋柴小屋を取り除けること願明治二十九年三月十三日
各部内分支教会に於て教祖十年祭の節広き場所へ御遷りの願明治二十九年四月四日 夜一時
刻限御話明治二十九年五月十四日
永尾せつ左の耳より喉へかけて出物願明治二十九年六月二十一日
山沢ひさ歯痛み肩にこりつめ願明治二十九年十月五日(陰暦八月二十九日)
梅谷四郎兵衞身上事情より定めたる事情願明治二十九年十二月十八日
平野トラにおさしづ明治二十九年六月二十日
北村繁太郎妻ます身上願明治二十九年九月二十九日
常極仁右衞門身上願(名草支教会長)明治二十九年一月三十一日
城法支教会敷地寄付の願明治二十九年三月十三日
高安分教会教祖十年祭陰暦二月二十三日今回教会移転する地所に於て仮小屋を設け勤める事情願明治二十九年四月九日
増野いと身上居所の願明治二十九年五月二十日
五月十八日会議案の点に付願明治二十九年六月二十八日
中山もと十八才身上願明治二十九年十月十日 夜十二時三十分
刻限明治二十九年一月八日
田中みつ四十四才並びに長男善永十九才身上願明治二十九年七月十六日
西村宗兵衞六十三才身上願明治二十九年十月一日
仙田善蔵身上伺明治二十九年二月三日
本席歯の痛みに付願明治二十九年三月十五日
上田たき身上よりナラトメ身上足の痛み願明治二十九年四月十日
城島分教会所地所名前人を教長に切り換えの願明治二十九年五月二十一日
永尾せつ身上三度目の願明治二十九年七月十日
東分教会上原佐助教会長そのまゝにして、副会長始め総役員一段改選して治め方伺明治二十九年十月十六日
島村菊太郎家内銀代身上願明治二十九年一月十四日
山中栄蔵三十九才身上願明治二十九年七月十六日
大江正一二十二才身上願明治二十九年十月九日
前田喜四郎四十六才身上願(五条支教会長)