明治二十九年二月十八日
清水与之助身上二日間ばかりしんどうてたまらんに付願明治二十九年三月二十三日 午前二時
刻限明治二十九年四月二十五日
高知部内岩浜支教会地方事情に付願(和田、青木両名出張の付心得のため願)明治二十九年六月五日
永尾楢次郎、喜多治郎吉宮崎県及び九州地方へ巡廻の願明治二十九年九月九日
清水与之助心得の願明治二十九年十一月二十六日
宮森与三郎母身上願明治二十九年三月五日
松岡国松外家内中障り願明治二十九年九月八日
原田平蔵腰痛みに付願(芦津信徒九条村)明治二十九年十二月二日
宇野又三郎二十五才安田治三郎長女ふじ二十一才縁談事情願明治二十九年二月十八日
梅谷たか身上願明治二十九年三月二十四日 夜十二時半
刻限(教祖十年祭の後にて別席四五千人程もあり本席五六百人もある時、七日間本席御休みになりし時の事情)明治二十九年四月二十九日
河原町分教会治め方の都合により深谷徳次郎を副会長に願明治二十九年六月六日
城島分教会の地所所有名を、教長の名義に致し度き儀再願明治二十九年九月九日
諸井松太郎身上願明治二十九年十二月六日
山名部内甲府支教会長事情に付、当分山名分教会長兼任致し度く願明治二十九年三月二十九日
東保太郎身上又小人身上願明治二十九年九月八日
上田浅治郎七十才身上願明治二十九年十二月十七日
天満益右衞門身上願明治二十九年一月八日
城法支教会市川会長辞任するに付、山本藤四郎へ御許し下され度く願明治二十九年二月二十三日
増野正兵衞身上の願明治二十九年三月二十六日 夜
本部員一同より御詫び願明治二十九年四月二十九日
富松たみ身上願明治二十九年六月十二日
郡山部内山家出張所を分教会直轄に致し度く願明治二十九年九月十日
網島分教会長娘寺田コウ身上願明治二十九年十二月七日
飯田岩治郎身上願明治二十九年五月一日
増田おせい縁談願明治二十九年九月十一日
小野辰三郎身上願明治二十九年十二月二十日
山中彦七長女いわ十八才縁談事情願明治二十九年一月八日
井筒梅治郎身上願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
教祖十年祭の事に付、日取りは二十五六の積りの処、五年祭は二十六七八の三日間に有之に付如何にさして頂きまして宜しきや伺明治二十九年三月二十七日 夜八時
刻限明治二十九年五月一日
梅谷たね身上伺明治二十九年六月十五日
郡山部内山家出張所付属替え願明治二十九年九月十四日
大裏戌亥の隅へ南北十四間東西十四間半四間梁前に八尺の庇付建物御許し願明治二十九年十二月七日 夜
安堵飯田岩治郎身上御願の後にて明治二十九年五月十五日
向井儀平身上願明治二十九年九月十九日
横山与八家内中身上願明治二十九年一月十五日
撫養部内高松出張所教堂五間に二間半板間四間に三間座敷一間半二間炊事場二間に四間井戸一箇所、便所二箇所、事務所一間に一間半、外に居宅一箇所門一箇所願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)夕方
今日昼のおさしづは二十七日に十年祭というさしづの処、五年祭の日記を調べたれば、二十六日は五年祭、二十七日は大祭執行の事に記してありましたから、如何にして勤めまして宜しきや伺明治二十九年三月二十七日 夜
刻限の次に平野楢蔵胸迫りし時の願明治二十九年五月三日
永尾楢次郎小人せつ、たつゑ、きぬゑ身上願明治二十九年六月十六日
教長箱根へ御出の儀御願明治二十九年九月十六日
撫養分教会長土佐卯之助身上伺明治二十九年十二月九日
深谷源次郎本部庶務見習に繰り上げる願明治二十九年五月十八日
和田平三郎次女きくゑ二才身上願明治二十九年九月二十五日
松尾兵五郎五十八才身上願明治二十九年一月十六日
増野正兵衞身上声出ぬ障りに付願明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)
山沢為信身上願明治二十九年三月二十七日
中河分教会教祖御殿落成に付、遷座式陰暦二月十九日夜に行い度く二十日は十年祭、十八日に本席招待、十九日教長招待願明治二十九年五月十一日
井筒梅治郎娘たね十八才、松村五三郎二十三才縁談の願