「つとめ」の時、着用する服装のことです。
男子は、黒紋付きに黒の袴、女子は黒紋付き、男女とも羽織なしです。
紋は梅鉢の紋を使っています。
「おつとめ衣」は、恒例祭(大祭・月次祭)や 奉告祭、記念祭などでおつとめを勤める際に着 る衣装です。
また、おさづけの理の拝戴の時などに着用します。
教紋(梅鉢)の黒紋付(五ツ紋) で、男子は袴を着用し、女子は帯を太鼓に結び、 男女共に白足袋をはきます。
ふしん社や各神具店で購入できます。
結婚式では、主礼、新郎新婦ともにおつとめ 衣を着ます。
黒のおつとめ衣は、一般の結婚衣 裳を見慣れた人にはなじみがないかもしれませ んが、ようぼくの正装を身につけて、教祖の御 前で門出のお誓いをするのです。
黒紋付きは、中山こかん、本席飯降伊蔵がこれを着ていたそうです。
天理教おつとめ衣の歴史
明治16年(1883年)の雨乞に際して、おつとめ衣の記述は、わずかに飯降よしゑ、辻とめぎくの二人が「赤い金巾に模様のある着物」を着ていたことがわかるのみでだそうです。
また、このとき赤衣を差し渡し3寸の大きさに切り、12弁の縫い取りをした紋を付けていたそうです。
また大阪では、女性が、白衣をまとい緋の袴をはき、表は金、裏は銀の扇を持って「みかぐらうた」を踊っていたといわれています。
明治22年5月25日に、兵神分教会がおつとめについて「おさしづ」を伺っていますが、その中に、「御勤の人衆は黒紋附袴、女は紅色の衣服に白かり絹を掛け、赤袴、髪は下げ髪にしても宜しく御座りますや、おぢばの型通りして宜しきや、御許し願」とされています。
当時、教会本部の教会設置が認められ、一般教会が設立されはじめられた時期です。
この「おさしづ」に先立つ山名大教会への「おさしづ」での「かぐら面」の使用禁止に象徴されるように、本部でのおつとめについては早くから定まっていたようですが、一般教会でのつとめのあり方は一様ではなく、このころから規定されはじめている事情がうかがえます。
また、「おさしづ」では、おつとめ衣につける「紋」の許しの願いが非常に多いのも一つの特色で、「梅鉢」の紋の使用願のことです。
12弁の紋の使用については例外的な事例としてうかがわれ、また差し止められています(おさしづ明治27年8月3日)。