明治二十七年十月九日(陰暦九月十一日)夜
本席御身上願(但し飯降まさゑ縁談事情)明治二十七年十月二十九日
勝井鶴三郎田地二反余本部へ買い入れ御許しの願明治二十七年十二月三日
増野いと身上産後下りもの居所の願明治二十七年一月五日
日下伝蔵身上願(那賀郡)明治二十七年五月四日
富田伝次郎長女りやうおびや許しを頂き、男子安産し直ちに出直しに付願明治二十七年六月十七日
礒田源右衞門娘こめ願明治二十七年八月二十三日
深谷源次郎五十二才身上願明治二十七年一月十一日 夜十一時二十分
刻限御話明治二十七年一月二十五日
北分教会へ桝井伊三郎、喜多治郎吉派出の願明治二十七年二月二十三日
上田いそ及び民蔵身上願明治二十七年三月十九日 夜
飯降まさゑ縁談川久保鐵蔵の方は話纏まらぬ故見合わせと成りましたと願明治二十七年五月七日
元稲田の地所地均らしの願明治二十七年五月二十四日
雪隠の東の方へ洋灯の居所建てる願明治二十七年六月十一日
教長上京出発に付願、前川菊太郎、松村吉太郎、清水与之助、平野楢蔵、四名御供明日出立願明治二十七年七月六日
堀内与蔵子息吉太郎十九才身上願明治二十七年七月二十六日
神道本局より教長へ幹事及び神殿建築監督受諾の件申し込みに付伺明治二十七年八月十七日
寺田コウ身上願(上げ下だし熱出で甚しくに付)明治二十七年九月十二日
芦津分教会部下笠岡支教会の事情に付永尾楢次郎、桝井伊三郎両名出張の願明治二十七年十月十一日
梶本楢治郎、飯降まさゑ縁談の事情願明治二十七年十一月五日
本席身上御障りに付願(目の御障りなり)明治二十七年十二月九日
永尾よしゑ身上の願明治二十七年一月十三日
上原伊助家内ミツ身上願明治二十七年五月四日
梅本善七長男永治十才身上願明治二十七年六月二十三日
杉本重太郎事情願明治二十七年八月三十日
蔵貫芳之助伜芳太郎身上願明治二十七年一月十三日
山沢為造子供身上より為造の身上も共に申し上げ願明治二十七年一月二十五日
船場部内堀江支教会の事情願明治二十七年二月二十四日
御勤鳴物の事に付、静岡県より本局へ紹会に相成り、それに付楽譜の事願明治二十七年三月二十一日
高井猶吉、永尾楢次郎両人山城江州伊賀伊勢地方へ派出の願明治二十七年五月八日
山沢為造身上なり、又この間より小人ミキノ、サワ、為信身上事情より願明治二十七年五月二十四日
増井りん小人身上の願明治二十七年六月十一日
河原町部内山国支教会地所買い求め願明治二十七年七月九日
刻限御話(事情済みの後にて)明治二十七年七月二十七日
朝鮮事件に付軍資金として金一万円献上の願明治二十七年八月十七日
神沢瀧蔵身上願明治二十七年九月十三日
前川菊太郎上京するに付御許し願明治二十七年十月十四日
高安分教会敷地東側寺池他の地所並びに池と換地取り掛かりの儀心得まで願明治二十七年十一月七日
教会設置の許しに付、本部親神様へ御許し下されし事なら、地方庁へ出願の際、親神様へ願う処手数恐れ入ります故、中山会長より直ぐと御下げ下さるようとの願明治二十七年十二月十一日
松村ノブ目の障りに付伺明治二十七年一月二十一日
東保太郎四十三才身上願明治二十七年五月七日
深谷源次郎身上願(左腰から足まで身上)明治二十七年六月二十五日
植谷浅次郎身上願明治二十七年九月二日
岡本久太郎五十八才身体の節々に田虫出け身上願明治二十七年一月十五日
河原町部内甲賀支教会水口にて御許しの処、この度都合により宇田山田太右衞門宅七十番地に移転の願明治二十七年一月二十六日
本部西側道の事に付足達源四郎地所云々の事願明治二十七年二月二十七日
北部内名張支教会棟上げ風のため倒れ心得まで願明治二十七年三月二十一日
諸井政一身上願明治二十七年五月十日
本部長御身上に付願明治二十七年五月二十七日
橋本清より東分教会長の事申し上げ願明治二十七年六月十三日
高知部内石濱支教会へ他より邪魔人あるに付願