明治三十年十一月五日
上田秀吉身上願(高津出張所部内長土出張所長)明治三十年一月十五日
増野道興身上願明治三十年三月十一日
山田伊八郎、八才、二才の小人の願明治三十年四月二十二日
大裏西側中央に井戸一箇所願明治三十年六月八日
富松清三郎身上願明治三十年七月十九日
平野トラ身上願明治三十年九月十七日
田中松二郎次男福太郎身上願明治三十年十一月十三日
橋本清辞職書差し出せしに付、協議の上事情願明治三十年十二月十三日
桝井伊三郎老母の障りに付、弟政治郎を引き戻し安太郎出る事に付願明治三十年四月七日
中台庄之助伜十六才身上願明治三十年八月二十二日
大藪安太郎母ツネ六十二才身上願明治三十年十一月八日
松岡国松三十一才前事情申し上げ身上願明治三十年一月十八日 夕方
茨木基敬四十三才身上願明治三十年三月十二日
増井りん六十日程前より歯痛の処少々治まり、本日午前十時頃より腰の障りになりしに付願明治三十年四月二十二日
増野正兵衞身体中芯骨痛み咳出で、又道興目の障り願明治三十年六月十一日
寺田半兵衞身上願(四五十日前より熱出でいろ/\と悩みにより)明治三十年八月二日
平安支教会長飯田岩治郎事情に付願(神様御下りありと申し立て曰く『この屋敷は二つ無き水屋敷、元なる者は何んと思うぞ、この度は平安より往還の道つける皆心勇み出よ』と、その他種々申し立て尚飯田に月読の神御下り其御指図故本席より誠の神と言って分かり来るとの事に付、平安より役員春木、松尾、田中、森中、西本、重役五名罷出で、本部長へ上申の上本部員立ち会いの上願)明治三十年九月二十四日
富松たみ身上願明治三十年十一月十三日
飯田岩治郎だん/\相つのりしに付、処分方に付願明治三十年十二月十五日
北部内豊岡支教会部内整理上に付、高井猶吉と山中彦七の両名出張の願明治三十年四月十日
木戸上庄右衞門身上願明治三十年八月二十六日
深谷徳次郎小人徳郎並びに次女且つ本人なりそれ/\身上事情願明治三十年十一月十九日
飯尾清蔵身上願(高知部内東新出張所担任)