明治三十一年二月十八日
小原長次郎六十才身上願(靱役員)明治三十一年五月四日
小西勝助身上願明治三十一年八月六日
檜作徳之右衞門身上願明治三十一年十月四日
宇恵凖治三十才身上願明治三十一年十一月二十二日
斉藤与七六十九才身上願(治良兵衞)明治三十一年一月十九日(陰暦十二月二十七日)
増野正兵衞十五日城島分教会より帰り風邪にて熱あり、又おとも十日頃より夜々無理言い熱強く障りに付願明治三十一年四月二十六日
村田慶蔵宅日々客少きに付、暇の間に林由松、道のため布教に出て、徳積み重ね度くという常の心得に付出ると申し長崎の方へという処、いろ/\申し上げ願明治三十一年五月二十九日
富田伝次郎家内中だん/\身上障りに付事情願明治三十一年六月二十一日
永尾楢治郎身上願明治三十一年七月二十三日
井筒たね七箇月にて死産後心得の事情願明治三十一年八月十七日
吉川宗七長男万治郎の身上より、商法止め生涯本部に於て勤めさして貰い度く御許し願明治三十一年九月二十三日
諸井国三郎全戸本部へ引き越しの願明治三十一年十月二十五日
郡山一件(郡山分教会と部内島ケ原支教会と分離に付示談相調いし処、平野会長及び重役員の変心に付、運び方無き故、山中彦七、桝井伊三郎より運びの上心得まで願)明治三十一年十二月一日
増井りん五十六才身上願明治三十一年二月十八日
明石関助五十四才身上願明治三十一年五月七日
西村喜之助身上願明治三十一年八月十五日
真砂平次郎妻さよ身上願明治三十一年十月六日
上念卯之助小人多三郎五才身上願(西宮役員)明治三十一年十一月二十五日
岩谷源治娘松枝十七才大西鐵治弟徳三郎二十五才縁談事情願明治三十一年一月十九日
桝井政治郎小人政蔵身上願明治三十一年四月二十九日
高安分教会落成式に付、本席明後日即ち五月一日出張御許し願、随行員は後より定むる願明治三十一年五月三十一日
本部にて試験執行に付、前川菊太郎、橋本清の両名より本局へ願出相成りしに付上京御許し願明治三十一年六月二十三日
新聞社より願い来たる処の願明治三十一年七月二十四日
平野楢蔵耳の障り願明治三十一年八月十七日
諸井国三郎身上願(前々より政一身上の障りからだん/\おさしづを頂き、心定めるに付、本部か、分教会の方か、いずれに勤めさして頂きまして宜しきや)明治三十一年九月二十五日
増井りん身上願明治三十一年十月二十六日
南海分教会長山田作治郎及び役員一同山田三女たみゑ出直し及び教会治め方事情願明治三十一年十二月七日
中河分教会副会長田中松二郎を担任に致し度く願明治三十一年三月八日
加見兵四郎長男秀二郎身上願明治三十一年五月十四日
松村善兵衞小人善三目の障り願明治三十一年八月十九日
梶村種太郎四十才身上願明治三十一年十月七日
深谷徳次郎二十九才伺(願主父)明治三十一年十二月三日
植谷浅次郎四十五才身上願明治三十一年三月三十一日
増井りん腹痛に付願(別席始めのおさしづなり)明治三十一年四月二十九日
山沢ミキノ以前七箇年の間に知らすとおさしづありしに付、今年十才になりますので前おさしづに基づき願明治三十一年五月三十一日
高井猶吉歯痛み願明治三十一年六月二十三日
東京にて運び方に付、出金下さる事に付願明治三十一年七月二十五日
郡山分教会長平野楢蔵三箇月程以前より左の耳鳴りて聞こえませんに付願明治三十一年八月十九日
清水与之助身上動悸強く、しんどいの願明治三十一年九月二十九日
本席御身上御願明治三十一年十月二十六日
桝井安松身上歯の痛み願明治三十一年十二月十二日
南海部内中紀支教会及び部内治め方心得のため願明治三十一年三月十七日
藤井忠四郎三十二才身上願明治三十一年五月十四日
佐藤栄佐三十二才身上願明治三十一年八月十九日
伊藤文蔵妻わき二十七才伜真一七才目の悩みの願明治三十一年十月七日
増田太平四十九才身上願(靱役員)明治三十一年十二月三日
植谷こう二十六才井岡忠次郎伜梅松二十七才縁談事情願明治三十一年四月一日
河原町分教会深谷源次郎分教会長を譲るに付心得のため願明治三十一年五月九日
増野正兵衞十五日前より目かすむ又左の肩首筋へ瘤のようなもの出物に付伺明治三十一年六月二日
永尾楢次郎腹痛に付願