明治三十一年五月二十四日
藤井幾太郎養子に切り替えに付伺(笠岡支教会理事兼会計係藤井幾太郎養子忠四郎切替に付、跡に治め方上の結果、本人初め親族熟議の上尚笠岡支教会員一同談示の上支教会隣へ引き越す事に決定候間、尚将来治め上に付会長心得のため伺)明治三十一年八月二十二日
岸田只八四十五才縁組に付願明治三十一年十月二十三日
山中利平身上願明治三十一年十二月十八日
門田松次三女しげ九才身上願明治三十一年四月八日
増井幾太郎歯痛に付願明治三十一年五月十一日
辻とめぎく身上願明治三十一年六月九日
山沢サヨ十一才身上願(本部事情少々こもりあり)明治三十一年六月二十九日
撫養部内周東支教会本月一日の夜炊事場窓より出火大変の処、神様の御守護にて治まり心得のため願明治三十一年七月三十日
梅谷梅次郎身上に付、前おさしづから梅谷四郎兵衞本部常詰事情申し上げ願明治三十一年八月二十六日(陰暦七月十日)
教長より別席順序願明治三十一年十月一日
前日刻限のおさしづに付、本部員々々々事情押して願明治三十一年十一月四日
増野正兵衞以前八月二十九日おさしづより筆取り違うと御聞かせにあずかり、押して尚身上咳出るに付願明治三十一年十二月二十一日
東部内失火の際神実のみ紛失に付、新たに御分霊御下付の願明治三十一年三月二十五日
西松太郎次女あきの二才身上願明治三十一年五月三十日
伊藤文蔵目の障りに付願明治三十一年八月頃
田中由平四十四才願(河内国若口郡八尾中野村)明治三十一年十月三十一日
増田たね五十一才身上願明治三十一年十二月十八日
山田元平身上願明治三十一年四月十日
撫養部内南阿支教会月次祭の節警察より御勤差し止め致せしに付心得まで願明治三十一年五月十二日 夜
昨日辻とめぎく身上願いより夜深というおさしづに付願明治三十一年六月九日
永尾楢次郎身上に付前々事情申し上げ願明治三十一年六月二十九日
西田亀蔵六月二十四日身上悩みより御願申せし処、身上速やかなりたら尋ねに出よという事に付、全快の上出頭致し願明治三十一年七月三十日
堀内菊松二十八才身上願明治三十一年八月二十六日 夜
刻限明治三十一年十月一日
平野トラ身上願明治三十一年十一月四日
土佐卯之助身上願明治三十一年十二月三十日 朝九時
本席御膳御あがりの節身上せまり御話(但し四五日前より少々御障り)明治三十一年三月二十七日
西村喜右衞門五十八才身上願明治三十一年六月七日
大浦伝七長男武治郎十七才身上願明治三十一年九月十五日
津田清太郎出直し後心得伺(山東出張所担任津田清太郎二十八才、福知山支教会新築工事に監督致し度く候処出直し致せしに付、一同心得まで願)明治三十一年十月三十一日
古倉槌蔵小人二才出直しに付、後々心得まで願(樫原所長)明治三十一年十二月二十日
前田九蔵五十三才身上願(南葛城郡秋津村大字条、秋津支教会副担任)明治三十一年一月六日
永尾楢次郎小人きぬゑ身上願明治三十一年四月十三日
教長代理として増野正兵衞、永尾楢次郎、木津警察署へ出頭致すに付願(前梅谷分教会事情に付)明治三十一年五月十二日
増井りん身上障り願明治三十一年六月十一日
日々信徒より御供え致します賽銭の処、これまで親様へ御尋ね申し上げずして若い者手伝って開いて居りましたが、これは本部員立ち並んで共に開かして貰ろたら宜し御座りますや、これまで通り若き者手伝うて貰ろて開いても宜し御座りますや伺明治三十一年七月二日
昨日本局より佐藤来たり段々御話しの上依頼の処願明治三十一年八月二日
本席の南の方へ普請下さる事願明治三十一年八月二十九日 朝
山名分教会へ本部員出張に付心得までに願明治三十一年十月二日
平野楢蔵本部へ戸籍引き越し願明治三十一年十一月十日
本部明十一日より十二日二日間石搗きの願(本席宅南の方の建物)明治三十一年十二月三十一日(陰暦十一月十九日)午前一時
刻限御話明治三十一年三月二十九日
山中彦七拝戴のおさづけに付伺(以前親が頂戴致され、その時、末代子孫までの理に授け置くとの御言葉に付、この事は如何の事でありましようかと御願)明治三十一年六月二十五日
宇野善助六十三才身上願明治三十一年九月十五日
仲ゆき長男喜一身上願明治三十一年十月三十一日
森井熊吉二十六才妻さき二十三才身上願(城島分教会)明治三十一年十二月二十一日
米田善吉妻シカ三十七才身上願明治三十一年一月八日
松村吉太郎身上願明治三十一年四月十三日
梅谷分教会事情に付本部員の心得までに伺(分教会建物奈良移転事情に付、笹西の件、部下の件、村方の件等事情申し上げて願)明治三十一年五月十七日
本部内蔵の西手へ神饌所建築願